2013年1月30日水曜日

「あいうえお」と「かきくけこ」

『教師のあいうえお』

  「あ」明るく
  「い」生き生きと
  「う」美しく
  「え」笑顔で
  「お」面白く


『教師のかきくけこ』

  「か」堅い
  「き」厳しい(汚い)
  「く」苦しい
  「け」権威的
  「こ」こわい


というのがあるらしい。




『かきくけこ』については、自分はこういう感じなんじゃないかなという気がする。
これは『生徒を委縮させる教師のかきくけこ』と言うらしい。

まぁ、『かきくけこ』も必要なものではあるんだけれども、
こればっかりだとツラいよね。(生徒も自分も)




ということで、この『あいうえお』ってやっぱりスゲー大切だよなぁと思う。

仕事を初めて5年目の自分にはこれが足りなくて(その時点で教師に向いてない気もするけど笑)、
がんばれば今後少しずつできるようになっていけると思っている。


      ☆      ☆       ☆

教師として、
スポーツ選手のように、当たり前に必要なトレーニングって何だろう?って少し考えた。

すべての教師に共通するようなトレーニングっていうのはあまりないように思う。
人それぞれで特性が違うからだ。


例えば休日は海外旅行に行きまくり、たくさんの友達と遊びまわっている教師がいたとして、
その人は「成長のない怠け者」なのだろうか?

・・・案外そんなことはなくて、その人が元気で生き生きしている姿が生徒を元気にしたり、海外で見たり聞いたりしたいろんな体験に刺激を受ける人がいたり、いろんなプラスの事も起こりうるのだ。


「・・じゃあ、何でもアリなのか!?」

と言うと、さすがにプロなんだから、それはない。

自分なりの将来像を見据えて、トレーニングを考えて挑戦し続ける事、が大切。


自分でメニューを考えるしかないし、
自分でどれだけやれたか(サボらなかったか)を評価するしかないし、

とにかく自分次第なのだ(企業の人やスポーツ選手と違うところだと思う)



今の段階で「自分に足りないもの」はたくさん見えているし、
少しずつ成長していけることは楽しいと思える。


ゴールは見えないし、だからこそ今の自分がイマイチ納得いかない状態でも、
「まだまだ可能性はある」と思ってがんばれるのだと思う。


とりあえずは『あいうえお』だなぁ。(何年かかるかなぁ笑)

2013年1月29日火曜日

初めての後輩

このブログ・・日本の人とタンザニアの人がたくさん見ているのは分かるんだけど、

アメリカの人も結構見てくれているらしい!?
なんでだろう。協力隊の人ではないだろうけど。まぁ、とにかく嬉しいことである。


      ☆      ☆      ☆

さて、赴任から半年を経て、ついに後輩隊員が任地へやってきた!

とりあえず今回は1週間だけの任地訪問なんだけれども、
今となっては自分にとって当たり前の景色も、後輩隊員からすると、
「いかにもアフリカ!」って感じらしい。

あぁ、自分が初めて来たときもそう思ったなぁ、と思い出しながら案内などをした。
また授業を見学してもらったので、例によって写真を張り付け。




やっぱり見てもらうとなると、自分でも自分を客観的に見られるからイイ!
いつもこういう緊張感で授業ができると、生徒にとっても自分にとってもいいんだろうな、
と思った。

2013年1月27日日曜日

適応しようとする意識

学校の職員トイレ



なかなか素敵でしょう?

・・・え?そんなことないって?

まぁねえ。

最初は嫌だったけど、

慣れると普通のトイレ。
日本のトイレは、「きれいすぎるトイレ」って感じかな(笑)


      ☆      ☆      ☆

この前、日本人の「適応しようとする意識」について同期隊員と話した。

タンザニアでボランティアしたり働いたりしている、
韓国人や中国人や欧米人などは、
あんまりローカルなレストランには行かない。

高価でもいいところへ食べに行くし、
自分たちで自国の料理を作ったりして食べていることが多いように感じる。

比べると日本人は結構、
「せっかくここまで来たんだから、マズくても汚くても地元の味を食べたい」
といった感じでどんどん攻めていき、ついには適応してしまうのだ。

面白いなぁと思った。


ただ、どちらがいいとは言えないなと思う。

どの国へ行っても自国の文化や食べ物に誇りがあって大好きで、
「それは食べたくないから食べないよ。」と、周りに影響されずに自分の考えを実践できるのもいいし。(でも、せっかくの機会を逃してるような気もする)

その国の文化や食べ物を好きになろうとしてどんどん適応していくのもいいし。(でも、しなきゃいけないっていう強迫観念にとらわれるときもありそう)


どちらかに偏らずに、自然と両方ともを実践できるようになると、
すごく楽しいんだろうなと思う(*^^)

ボンボン

家からそう遠くない所から、ボンボン爆発する音が聞こえる・・・
多分、最寄りの主幹道路。


なんじゃこりゃ~、すげー怖い。


朝ワーキャー騒いでいた子供達も、さすがに家に入ったようだ。

食料を買いに店まで出た時も、やっぱりみんなすごく慎重になっていて、
騒動に巻き込まれないように貴重品や電化製品を隠したりしていた。


そんな中、太い木の棒を持った若い男達がうろうろしていた。
「あれ?・・あいつ何回かしゃべったことあるなぁ」と思っていたら

「おいラフィキ(友達)、元気か?」といつもの挨拶

そこからいつものように他愛ない会話をしたけれども、

「ガスを持っていくって言うんなら、俺はやるよ」

というようなことを言っていたので、彼も今頃ボンボンやっているのだろうか。


我が家にいるものの、いつもと違う日常。

すごく緊張。


早く収まってくれ~(>_<)

2013年1月26日土曜日

デモ


昨日は家の近辺でデモが起こって、
いろんな所でボンボンと、花火のような音がしていた。

道が木や石で封鎖されていたり、車や家が焼かれたり、役所が壊されていたり、
いつもは平和な町なのに、違った様子だった。


現在は自宅待機。



<なぜデモが起こったのか・・人づてに聞いた話>

タンザニア南東部に位置する任地ムトワラ州は、はっきり言って結構な田舎で、
人々の生活も裕福とは言えないものである。

そんなムトワラ州の海から天然ガスが出て、国としてそれを採取することになり、
ムトワラの人たちは「これで自分たちの土地が発展することになるだろう」
と喜んでいたのだそうな。

ところが、その天然ガスをパイプラインで大都市ダルエスサラーム近辺まで
運んでしまおうという計画がたってしまい(つまりムトワラ州は素通り)、
「それでは自分たちの生活は良くならないままじゃないか!」
「そんなんだったらガスは持っていかせないぞ!」
という事が発端となってデモにつながっているらしい。
(あとは、呪術師がどうだとかよく分からない理由もあったらしいが)



・・・うーん、自分たちの土地の資源を持って行かれるとなると、やっぱり嫌だよなぁ。

でもなぁ・・・。家を焼いたり役所を壊したりして、何になるのだろう。

どんな主張があるのかは実際に聞いていないから分からないけれども、
政府側が「分かりました、では天然ガスを持っていくのはやめます。開発は中止です。」
と言ったところで、ムトワラの人々の生活は向上するのだろうか?

お互いにとって利益になるような提案をしているのだろうか?

そこが気になる。

自宅に待機しながら、「騒動が早く収まってほしいなぁ」と思いつつ、
家の周りでいつもどおりワーキャー遊びまわる子供たちの声を聞いて、
なんとも言えない気持ちになっている今日この頃。

2013年1月25日金曜日

祝日と熱燗(失敗)

今日は金曜日だけれど、祝日で学校は休み。
ムハンマドの誕生日だそうだ。

でも、今日学校が休みだという事を知ったのは昨日(つまり前日)

うーん、あいかわらず先の予定が見えない日々を送っている。


ちなみに、他の学校では生徒や教師が休みの日にちを一日間違えてしまったということがあったらしい。(そんな大事な日を間違うってアリなのか??)



とにかく、せっかくの3連休なので、掃除と洗濯をして、英語とスワヒリ語をやって、
ギターをして、料理をして散歩して、家や近所でゆっくりと過ごそうかな~と思う。
忙しいときは忙しいから、ゆっくりできるときはゆっくりする(笑)


      ☆      ☆      ☆

さて、タンザニアで一番発展した町ダルエスサラーム(なぜか首都ではない)にて
「SAKE(日本酒)」を買ったので、


これを熱燗にして飲んでみようと思い、湯煎したのだが、
おちょこがない。

仕方がないのでマグカップに入れ、


飲もうとしたけれども、これは厳しい(>_<)

湯気でむせてしまって飲みづらいし、すごく甘く感じる!!

やっぱりあの小さい器でちょびちょび味わうのがおいしいんだろうなと思った。
うまいことできてるなぁ。

If I could have spoken English well....

さて今年の頭、キリマンジャロ登山に失敗し、一足先に山から下りてきた自分は、
次の日にならないと下りてこない友達を待つために、
バックパッカーが泊まる安宿をとることにした。

一人部屋は空いていないということだったので、しかたなく4人部屋に入った。
同じ部屋には、カナダ人の男性とオーストラリア人の女性がいて、2人とも旅行者ということだった。

すごく社交的な2人で、みんなで一緒にご飯を食べに行こうという話になり、
ホテル近くの、白人が集まりそうなレストランで食事をした。

まぁ普段任地で食べられないようなおいしい料理が食べられて嬉しかったのだが、

2人の話している英語がぜんっっっぜん分からない!

他愛ない日常会話をしているはずなのに、断片的にしか聞き取れず、
会話に入ることができなかった。

この2人、お互い違う国のはずなのに、普通の会話スピードで話している・・・
英語が母語だとこんな利点があるんだなぁと実感。

あぁ、自分も「英語」が話せれば、このせっかくの機会に、同じように会話を楽しめるのになぁ

・・・と思ったのだった。


ということで、スワヒリ語と並行して英語も意識的にちょこちょこ勉強したいと思うようになった。
難しい文章とかは読めなくていいから、
今日起こったことくらいはスラスラ人に説明できるようになりたいと思った。
自分が話したい内容を英訳する、っていう訓練をしていこうかな。


(ちなみに、その後日韓国の人と話をしたときには、彼らの英語はかなり聞き取りやすかった。
 恐らくお互いに英語が母語でないため、簡単な英語を使うから理解しあえるんだろうな。
 言葉の違う国どうしでも話ができるというのは、かなり嬉しいもので、
 英語を中学校からこれまで一応は勉強していてよかったなぁと思う瞬間だった)

2013年1月24日木曜日

葬式

去年4年生(最終学年)だった生徒が亡くなった。

直接授業を担当したことはなかったのだが、去年は学校に通っていた生徒である。

アフリカで2年間活動していると、何度か体験するだろうと覚悟はしていたけれども。



こういう時、「どうして亡くなったの?」と聞くのはタブーである。
だから、何が原因で亡くなったのかは分からないが、おそらくは病気なのだろうと思う。

葬式には近所の人がたくさん集まっていた。
その家がキリスト教だったので、キリスト教の形式にのっとってたくさんの人に見送られた。


国が発展して、医療技術が発展したり、医療にかけられるお金が増えれば、
こういう悲しい出来事は減っていくのだろうか。

2013年1月22日火曜日

ザンジバル

タンザニアはアフリカ大陸の東海岸に位置しており、

海岸から少し離れたところに島があり、名前をザンジバル(zanzibar)という。

去年の年末にザンジバルへ行った。


サンゴ礁など、美しい自然が見どころであるが、




かつては奴隷貿易や象牙貿易の拠点だったり、イギリス等の統治下にあったことから、
タンザニア本土とは違った雰囲気のある建物や街並みも印象的である。
(現在、世界文化遺産に登録されている)





外国人観光客もたくさんおり、夜でも出店でたくさんの食べ物が食べられて、
まるで違う国へ来たみたいで楽しかった。







ちなみに、ザンジバルはタンザニア連合共和国に属するものの、
政府は独立しており、タンザニア本土から船などでザンジバルへ行くときには、
「出入国手続き」が必要である。


タンザニアへ来て、もし時間があるならばおススメの場所

2013年1月19日土曜日

同居人とキリマンジャロ

ブロガーで現在、IEでは画像を貼り付けられないというトラブルが発生しているらしい。
なるほど、自分のパソコンの問題じゃなかったんだ。

ということでchromeでやってみると、「おっ!画像を貼れる!」


昨日、台所で料理中に水を使おうと思って、バケツを見たら
その上にこんな虫が乗っていた。

なんなんだこれは・・・すげーでかいし・・・(下のバケツも80リットル用の大きいもの)


近所の子供たちに聞くと、
「クモだよー!!」

と口々に答えてくれたけど、これはクモなのか。
なんか長ーいハサミみたいなものがついているケド・・・

また新しい同居人との出会いだった。


    ☆     ☆     ☆

雨季に入ったので、やっぱり虫が多い(>_<)

毎日20匹以上の蚊を退治しているし、ご飯を食べに行くとカバンはこの通り・・・


ハエも多い・・・


虫たちにとっても、雨は「命の水」なんだなぁと思う。


    ☆      ☆      ☆    


今日は、前に載せられなかったキリマンジャロの写真を一枚


5700mの頂上がちらりと見えている。
自分はあそこへは行けなかったけれども、大きくてきれいな山だった。

2013年1月17日木曜日

提案?コメント?

う~ん、最近ブログに画像が貼り付けられなくて、
いろいろ載せたい内容はあるんだけれども、後回しになっているなぁ。

こちらではやはり毎日飽きない生活が続いている。

おかげで最近では、突然何かが起こっても驚いたりイライラしなくなった(笑)

今日も学校へ行ったら、
「この付近の小中学校の先生がみんなで集まる会があるから、そこへ行くぞ」
ということで、午前中で学校は終わってしまった。

会の雰囲気は・・・なんだか労働組合と会社との戦い、みたいな感じで、
先生達は仕事の不便さや不満などをぶちまけていた。

その意見に賛成する人たちは、「イエーイ!!」とか「ピュー!!(口笛)」とかで応援したりして、
言いたいことは言う、という日本との文化の違いをひしひしと感じた。


それぞれ話をするのはすごくうまい。感情も込めるし、パフォーマンスを見ているようだった。


      ☆    ☆    ☆

けど、どんなに自分の感情を伝えても、それだけでは現状を改善できないと思ってしまうのだ。
例えば「給料が少ない」「教員が少ない」「学校の設備が整っていない」・・・
そうやって口に出して言うこともすごく大事だとは思うが、

具体的にどんな風にしたらいいの?それを実行するとどう改善されるの?

という「提案」をしないと、言い方はとても悪いが自分としては「時間のムダ」に近いと思う。
参加者みんなの時間を背負って、マイクが渡されているわけだから、
ただの「コメント」に終始するのは、預けた時間がもったいないと感じてしまう。
グチなら個人的に、もしくは居酒屋で言えばいいのだ。


明日で27歳になる。若いと言えば若いが、一応は社会へ出て5年である。新人ではない。
いつまでも自分本位でいてはイカンな~と思う。
・・・・・ちょっとずつ成長していきたいなぁ(笑)

2013年1月16日水曜日

実感

今、京都大学の方々(教授など)がタンザニアに来ているということで、
ウチの学校を少し案内した。

わざわざ日本からはるばるやってこられたということで、すごく驚いたが、
こちらの学校の現状を知ってもらう良い機会になったのではないかなと思う。


話に聞いたり本を読んだりして、知識として理解することはできても、
やはり目で見て肌で感じる「実感」には及ばないと思うのだ。

アフリカは貧しくて、とか、教員の数が少なくて、とか、文字ではいくらでも書けるが、
真に理解するには、直にその場に行くのが一番。


そう思うと自分も、テレビで見たり本で読んだり、インターネットで調べただけで
分かったような気になっていることが多いのではないかなと思った。

知識としての取り入れ方はそれでいいと思うけれども、
まだまだ自分はよく分かっていないのだ、という謙虚さを持って、

色んなことを「実感」できるように、フットワークを軽く動き回っていきたい。

2013年1月15日火曜日

変化

今日、晩御飯を食べに行った店の話

外食をする時は、歩いて10分ほどの距離にある、
店や屋台が並ぶ所へ食べに行っている。

     ☆    ☆    ☆

去年の赴任直後の時期、
そこに、柱と屋根だけでできた、小さな小屋のような食べ物屋が一件あって、
メニューは「チプシマヤイ(卵焼きにフライドポテトが入ったもの)」だけだった。

脂っこいメニューなので、そこでご飯を食べることはほとんどなく、
「この近くでムシカキ(肉の串焼き)を食べられる場所はない?」とか
「この近くで鶏肉を食べられるところはない?」とか、
店主の兄ちゃんに道をたずねるだけだった。

11月ごろ?、店の前を通り過ぎようとすると、
「おうい、ムシカキあるよ!好きなんだろ?」
と声をかけられた。見ると、串焼きがショーケースの中に入っている。

「へぇ、メニューを追加したんだ!食べてみるよ!」
と言って食べたが、肉は小さくて、全然おいしくなかった。
が、その近くに串焼きを出すお店がなかったので、仕方なく何度かそこで食べた。

また何週間かすると、今度は
「ピザとエッグチョップがあるよ!」
と言われた。どうやらメニューを追加したようである。
この近辺ではどのお店もそれらを出すことはないので、珍しさで買ったが、
ピザはおいしくなく、しかもエッグチョップの中の卵は腐っていた・・・

でも、こうやって、いろんなことに挑戦していくこの店は好きだった。
他の店は、どの店も同じようなものを同じように売り続ける感じで、
工夫や改善がなかなか見られないから、
失敗しながらでも変わっていくこの店をひそかに応援していたのである。

  ☆    ☆    ☆

さて、年が明け、今日久々にその店の前を通りかかると、
建物がパワーアップしている・・・!

こぎれいになっていて、ドアまでついている。
しかも、中には電気が通っていて、ライトが色とりどりにチカチカと点灯している。
お客さんもたくさん入っていて、店の外にまで椅子が置かれているじゃないか。

中に入ってみると、冷蔵庫があり、扇風機が回っている。
メニューも、ムシカキ(串焼き)に加えて鶏肉が増えていた。

「雰囲気が変わったなあ」と思いながら、ムシカキを注文すると、
以前より肉の大きさはずいぶん大きくなっていて、食べてみると、
ちゃんと下味をつけた、ウマイ仕上がりになっていたのである・・・!

あぁ、この店ならお客さんが多いのもうなずけるし、
これから何回も来ちゃうだろうな、と思った。


数か月での早変わりには驚いたが、やっぱり、

試行錯誤して、工夫して、失敗して、を繰り返していくことって大切なんだなと思った。

去年と違ってエプロンまでつけるようになったお店の兄ちゃんに、
「この店すげーー変わったね」
と言うと、彼は
「そうだね」
と何事もない雰囲気で言っていたが、ちょっと感動する出来事だった。

2013年1月14日月曜日

キリマンジャロ登山

年末から年始にかけて行っていたキリマンジャロ登山は、

途中リタイア!・・・でした。


4700m地点のキボハットという所まで行き、
「あと1000m、最終アタックを残すのみ」という所で、
風邪(と高山病)が原因でリタイアでした。


あぁ、残念!費用も10万円くらいかかったのに!
と思う所かもしれないけれど、実際ほとんど落ち込んではいなくて。

むしろ4700mまでよく行けたな、そして無事で帰ってこられて良かった。
という思いである。

実は3700m地点ですごーーく頭が痛くなって(高山病)、
眠れず、食べることもできず、という状況だったのだが、
一緒に登った同期や、荷物を持ってくれたポーターが助けてくれたおかげで、
そこから1000mも登れたのである。

そもそも、登山をする時の旅行会社への手続きや、バスの手配など、
ほとんど同期に「おんぶにだっこ」の状態だったので、
悔しい!・・・というのもお門違いな気がする。


登頂こそできなかったが、みんなのおかげで、
みんなと楽しい時間が過ごせて、感謝のみである(*^^)

初めてのちゃんとした登山、仲間の大切さと、リスクヘッジの大切さを学んだ。


      ☆      ☆      ☆

最近、蚊が増えてきている。雨期に入ったからだと思うのだが、
家の中でも一日平均15匹くらい、電気蚊取りでバチバチッ!と焼いている。

家でのストレスがまた増えてしまった。
2月の頭には日本へ帰国する予定なので、
このタイミングでマラリアにかかって入院するわけにはいかないのだ!

予防薬を飲み、長ズボンと靴下を着用! 蚊は見つけたら逃がさない!
負けないぞー!

2013年1月12日土曜日

手に入る調味料

料理を楽しむようになったが、
食材や調味料が少ないので、作れるものが限られてくる。

と言っても、タンザニアでも手に入れられるものはたくさんあって、
これまでに
醤油、ごま油、オリーブオイル、カレー粉、ゴマ、中華だしの素、味の素などを入手できた。

また、みりんも手に入るらしい。


しかし、なかなか手に入らないのが、「だしの素」である。

日本食なら味の決め手になる「だし」だが、これがないと料理をするときには困る。


日本にいた時は、手の込んだ料理はしなかったし、弁当などで済ませることが多かったから
気付かなかったが、料理って大変で、奥が深いんだなと思った。


現在、我が家で一番カンタンに作れるものは「ペペロンチーノ」である。
ニンニクと玉ねぎだけ買えば作れるから、よく食べている。

休みの日はちょっと手の込んだ料理も作りたいと思う。

2013年1月10日木曜日

時間割が完成

「今年の時間割が完成!」

と言われ、自分の持ち授業をチェックしてみると、
各クラス、一週間に6回ずつ授業があるはずのに、4回ずつしか入ってない!
(ちなみにオレは、今年は2年生3クラスと4年生3クラスの、合計6クラスを担当する)

「待って!授業が4回ずつしか入ってないよ!」と言ったら、

「タニは授業数が多いからね、減らしたんだよ!」という返事

「う~ん、あの~・・・」

「仕事が多いほうがいいの!?」

「違う、少ない方が自分は嬉しいけど、教科書を最後まで終わらせられないよ」

「あ、あ~、なるほど。そういうことね。分かった、6個ずつにするよ。」



といったやりとりがあり(おそらく日本ではありえないが)、

今年も「学校内で一番担当時間数の多い教員」になってしまった。


う~ん・・ボランティアって、
彼らが自分たちだけで運営していけるようになったら、
いつかは去っていかなくてはならない存在なんだと思うけれども・・・

まだまだ理数科教師の不足は深刻である。


ちなみに、教員の都合で時間割が作られていくので(ある意味当たり前だが)、
「4コマ連続で数学の授業があって、その日以外は数学がないクラス」
などもあった。なんてかわいそうなんだ・・・


       ☆   ☆   ☆

さて、そもそも理数科教師がなぜ不足するかというと、いくつか理由がある。

①教員の給料が少ない
  理数科の知識や技能を持っている人は、もっと稼げる仕事に就いてしまう

②全国統一で教員採用が行われる
  みんなが都会で働きたいので、赴任先が田舎だった場合、仕事を辞退してしまう
  (ちなみにタンザニアはすごーーーーく広くて格差もあるので、なおさらである)

③やっぱり、理数科が苦手
  彼らは暗記は得意なんだけれどもなぁ・・・

などなど、今後改善されるのかはまだ読めない。


それならば、オレがこの学校に赴任するのにかかった経費
(訓練費用、移動費、生活費、その他)を、タンザニア人教師を雇うための給料として
学校に贈与してもいいのかもしれないなぁ・・・と思うこともしばしば。

何が正解かは分からない。

自分勝手に考えると、せっかくのこの機会だから十分に生かして、活動をがんばって、
いい経験をさせてもらおう!という感じである。
それ以上のことは考えても仕方がないかな。

2013年1月9日水曜日

新学年、スタート・・・・?と飛行機事件

ウチの学校は1月から新しい学年がスタートする(日本では4月から)。

ということで、今日から授業がスタートするのかな、と思ったけれども・・


やはり、そうすんなりスタートするはずもなく。

①来ていない生徒がたくさんいる
②来ていない教師も割といる
③今年の時間割が全然完成していない
④クラス名簿ができていないから、誰がどのクラスか分からない
⑤新1年生の入学手続きが終わっていなくて、保護者の行列ができている
⑥去年の2年生が国家試験に通って3年生になれたかどうか、
 その結果がまだ分からない(月末に分かるらしい・・・)


う~む、日本の感覚からすると、「行き当たりばったり」なように思う。

「あらかじめ準備をして、スムーズに開始できるようにする」

という感覚が少ないのだろう。

pole pole(ゆっくり、ゆっくり)である。
ゆっくりスタートしていって、不都合があればそのつど修正していく。

このスタイルなのだ。・・嫌いじゃないけど。


☆☆☆

実は去年の年末に飛行機を乗り損ねたことがあった。

その日はタクシーが遅れてやってきたこともあり、
搭乗ギリギリの時間に飛行場に着いて、荷物検査を済ませた。

その時、荷物の搬入や、乗員の乗り込みもまだだったので、
「チケットを見せれば乗れるだろう」
と思って、手荷物検査の後で受付の所で待っていたのだが、

手続きをしてくれない・・・

しばらくすると、他の乗員が乗り込み、荷物が搬入され、
飛行機は目の前から出発してしまった!
(すごく小さな空港なので、本当に目の前から飛んで行った)

「えー!予約してたのに!席が空いてるんだから乗せてよ!」
と思いつつ、
「飛行機の時間はシビアなんだな・・」
とあきらめかけたのだが、

受付の人が
「明日の朝、すごーく早く来たら乗れるよ」
と言うのである。

ところが、実際次の日の便は満席である。
「満席なのに、乗れるの?」
「そうだ、そう手配した」

・・・ということで、試しに次の日に、
空港の職員よりも早く(つまり1番)に空港に行ってみた。

すると、前日のチケットなのに、追加料金を払うことなく、乗れたのである。


その後乗客がやってきた。数を数えると、おそらく飛行機の定員ぴったりである。

そしてその後・・・
搭乗時間ギリギリに白人のカップルがやってきた。

が、なにやら受付で揉めている様子である。
なかなか待合室へやってこない。

・・・あぁそうか、昨日の自分がそうだったんだな、と分かった。


席はもう空いていないのである。
なぜなら、オレ(みたいに前日乗れなかった人)が乗っているから。
非常に申し訳ない思いと、昨日の自分もそうだったのだという思いで複雑だった。

おそらく空港の人達は、その日その日を、なんとかこなしていっているのだろう。
うーん・・・このままだと、いつか大きな問題が起こるような気が・・・


まぁとにかく、負けないためには時間厳守で早めに行動すること、これが教訓

2013年1月8日火曜日

新年

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


2週間くらい家を離れていたので更新ができなかった。

公務、帰国隊員の報告会、送別会、旅行、と
あちこちを飛び回っていて、ようやく今日帰宅。

ひさびさに我が家へ戻ってほっとしているのだが、
明日からはまた学校が始まる(新しい学年)ので、今日はもう就寝。


この2週間のことは明日以降、少しずつ書いていこうと思う。