2013年11月29日金曜日

気温を調べる

だんだん暑くなってきた


とは言っても、日本にいたときのように、天気予報をみて気温と天気をチェックしているワケではないので、

今が何度か分からない状況が1年以上続いている



なんとなく気になってインターネットで調べてみたところ

最高気温は34度くらいだそうだ


まぁ、そんなもんかな 暑いといえば暑いけど、日本の猛暑や熱帯夜ほどの苦しさはない
(ただしクーラーというものはないが)



朝方は涼しいので、去年と同じように早寝早起きをして、

朝の涼しい時間帯に動くようにしようかな(日本への帰国の時差調整にもなるし)


去年の家は電気がなかったから、早く起きすぎると暗くて何もできなかったけど(笑)
今年はその心配はナシ!


明日の朝から実行することにします

2013年11月27日水曜日

なんという海賊版

ハリーポッターの第7話の映画DVDが道端で売られていた

3000シリング(200円くらい)


安いなぁと思ったけど、よく見るとパッケージには「ブルーレイディスク」と書かれていた

「ブルーレイは見られないんだよね」と店員に言うと

「見られると思うよ」と言われ、(何を根拠に言っているのか分からなかったが)



買って帰り、パッケージを開けると中からは「家で作ったでしょ」というクオリティのDVDが出てきて、

これなら絶対見られるわ、と思ってパソコンで見ようとしたのだが・・・




ハリーポッターの第7話・・・・・だけじゃなくて、第1話~第7話まで全部入ってる!!(画質は悪い)

しかも、関係ない映画も入っている


ラッキーではあるけど、とんでもない海賊版・・・・

200円でハリーポッター7つ分って(笑) 日本には持って帰れないなぁ



           ☆          ☆          ☆

さて、Yahooニュースで見たのだが、視聴率の低い番組が打ち切りになるそうな


これはちょっとさみしいな、という気がした


もしも他の人達が見ていない番組を好きになって見ていても、途中でこんな風に切られてしまうのでは、見る気も起こらなくなるだろうと思う


作る側の責任というか、「何のために作ってるんだろう?」という疑問が出てくる。

そりゃあ「スポンサーの商品が売れる事→コマーシャルをたくさんの人が見る事→視聴率を高める事」というのがあるだろうけど


10%(1300万人)ならOKで、3%(400万人)ならやめやめっていう


んー、まぁどうでもいいんだけれど


今はインターネットもレンタルDVDもあるから、わざわざ一週間に一話ずつCM混じりにテレビを見る必要もないだろうし、テレビ番組を作る仕事をしている人達って大変だろうなと思う


今後どうなっていくんだろう

テスト監督

ただいまテスト期間中


テスト監督をするのだが、一個一個のテストの時間がめちゃくちゃ長い!

2時間~3時間

これだけ長いと、生徒も時間に追われることなくゆっくり問題を解いている


監督しているこっちもすごく疲れる(笑)

他の先生はちゃんと監督してるのかな?と思って他の教室を見てみるが、

先生がいない教室が多い



うーん、カンニングが多い訳だよなぁ


今日も「タニは試験監督をすごくちゃんとやる。生徒がカンニングできない」と他の先生に言われた


そう、オレが監督するとそのクラスの平均点は下がってしまうのだ(笑)


なんとも言えない状況である

2013年11月25日月曜日

Hole in the wallプロジェクト

「Hole in the wall」

10年以上前に、インドで行われた教育のためのプロジェクト

スラム街にパソコンを置いて、インターネットなど自由に使えるようにしたもの


それまでグーグルもウィキペディアも知らなかった子供たちが、次第にいろんな情報を検索して学習していったということらしい



確かに、開発途上国で生活をしていると、その感覚は分かる
教科書やインターネットなどの「学習するためのツール」が経済的事情で手に入らない子供がたくさんいるのだ

家にテレビがなければ、より自分の知る情報は限定されたものになると思う


全員ではないが、その中で「もっと勉強したい」、「もっといろんなことを知りたい」と思っている子供はいるし、まだ知ることや勉強することの楽しさに気付いていない子供もいると思う


こういう状況だと、Hole in the wallプロジェクトは、子供たちにとって大きな意味があったんだろうなと思う



思い返してみると、自分の経験の中ですごく印象に残っていることは、「YOU TUBE」を初めて見た時の事だ

自分の好きな動画を検索していつでも見ることができるなんて、便利すぎる。スポーツでも仕事でもなんでも、自分が真似したいと思える人の動画を何度も見たりじっくり分析したりできるやん・・・

とすごく興奮したのを覚えている

人が話している内容を、動画を何度も止めながら文字に起こしてノートに書いてみたり、テニスの動画をスローモーションで何回も見たり、いろんなことに利用した




「学習するためのツール」が手に入らない子供がたくさんいると書いたが、これは事実で

今のところ、教科書の内容をただ黒板に書いていくだけでも、教師が授業をする価値があるのだ

生徒は「知識を得るため」に授業を受けに学校へ行く


ただ、インターネットが自由に使えるようになれば、こういう形態の学校は需要がなくなっていくだろう

「先生が黒板に書いていることは、ネットを見れば載っている」

学校は何のためにあるのか、新しい目的が問われることになると思う


デジタル機器が途上国の教育の形を変えていくことになるかもしれない

2013年11月22日金曜日

一年の終わりとテストのやり方

どんな終わり方・・・・

今年最後の授業が終了


といっても、授業をしに行ったら生徒が大掃除をしていて、授業ができずに終了したのだが(笑)


これからテストが始まり、それが終わると一か月の長期休暇に入る


ちなみにテストは、地域の学校みんなが同じテストを受けるため、今回は自分で作成をしなくてもよかった




・・・・というか、実は今年は一回もテスト作成をしていない(自分でもびっくりだが)


どうしてそうなったのかという経緯はこうだ

1月~10月までは2年と4年の数学を担当していた。
この2つの学年は、一年の終わりに「国家試験」を受け、進級の判定がなされる。


年間で、前期と後期の2回試験を行うのだが、

前期は「国家試験の模擬試験」があったため、これをテスト代わりにするという学校の方針で、テスト作成をしなかった

後期は、国家試験そのものがあるため、テストの必要がないということになった





どうなのかなぁ?と思うところではある。「今学期に習ったところ」を「そのクラスに合ったレベルで」テストすることってすごく大切なんじゃないかと思うからだ
(模擬試験や国家試験は、すべての学年の内容をハイレベルで問う問題)

校長は、「学校のテストでいい点を取れても、それで調子に乗って、模試とか国家試験で結果が悪ければ意味がない」と言っていたが・・・

資格を取得するためのプログラムならともかく(自動車免許の講習など)、公立の中学高校なのだから、本番でうまくいくかどうかだけではなくて、途中のプロセスをしっかり認めていくことが大事かなぁと思う(まぁ、「中高卒業資格」という資格だと言われればそれまでだけれど・・・)

国家試験を合格しそうにない大多数の生徒にとって、テストは「点のとれないもの」つまり「勉強しても無駄なもの」という捉え方になってしまっているような気がするのだ

進級できなくても、掛け算ができるようになったとか、物事を考える時に工夫するようになったとか、人に説明するのがうまくなったとか、そういう小さなことだけでも力を伸ばせたら、公教育の大きな使命が果たせるように思う




日本の教育システムの中で育ったから、いろんなことに違和感を感じるのかもしれない

でも、今まで当たり前だと思っていたことを、改めて考え直すいいきっかけになった1年だったなと思う。

2013年11月19日火曜日

スワヒリ語でさえ

小学校ではスワヒリ語で授業が行われるのに、中学校からは英語での授業に切り替わる

試験問題も英語で書かれるようになり、数学の試験も「英語が分からないから解けない」という事態が起こっている

スワヒリ語で勉強すればいいのになぁ・・・と思うこともしばしば




ところが実は、スワヒリ語でさえ、生まれ育った村の言葉とは違っていることがあるのだ

それぞれの部族には特有の言葉があって、オレの住んでいる地域には「マコンデ族」の人が多い

マコンデ語というのがあり、最近はちょこちょこ生徒に教えてもらったりする



小学校でスワヒリ語を学び、中学校からは英語を使う、というめちゃくちゃにハードな教育プログラムなわけ。


日本人はみんな日本語だし(琉球は除くかな)高校も大学も、日本語のままいけるから楽だなぁと思った。
日本語以外の語学の壁は他の国より高いだろうけど、
「○○を勉強したい!」と思えば、純粋にそれだけを勉強できる環境にあると思う

なかなかハイレベルな内容まで、日本語で書かれた本が出版されているし、恵まれた国だなと思う
こっちではハイレベルな内容を勉強したければ、スワヒリ語の本がないものだから、英語を勉強するしか道がないんだもの

2013年11月18日月曜日

ブログのおかげ

この投稿が333個目の記事である


もうそんなに書いたかぁ、と自分でもびっくりしてしまった。

思えば協力隊になることが決まり、福島県二本松にある訓練所へ行く一週間前からブログを始めて一年半・・・思ったことを思うがままに(つれづれなるままに)書いてきた


自分で書いておいてなさけない話だが、後から自分で見返すと、「こんなこと思ってたのか」と改めてビックリすることも多い


ブログなんて協力隊にならなければ始めなかっただろうし、多分、協力隊活動が終わればこのブログも終了にすると思うのだけれど、


たった2年分でも自分の「日記」というか、「記憶」が残せるっていうのは嬉しいことだなと思う

写真やなんかは割と残っているものだけれど、その時どんなことを悩んでたかとか、どんな学びがあったかとか、そういうのって案外残っていなかったり覚えていないものだから


10年後とか20年後、何かの節目の時にこういうのを見返すと、自分にとって助けになると思う

残り3、4か月

思うことをつれづれと書き残しておこう

2013年11月15日金曜日

暑くなってきたけど

日本は寒くなったころだろうなと思う



こちらでは日に日に暑さが増している

基本的に毎日、ちょっと移動するだけで汗だくになる

じっとしていても汗だくになる(笑)


パソコンも熱々で動作が遅い



そんな中うれしい事といえば、マンゴーの季節になってきたということ


家の裏へ行って、ちょっとボーっとしてると

ドサッ!・・コロコロ


とマンゴーが木から落ちてくる

タダで(買っても安い)マンゴーを食べまくれるのって今だけかも・・・と思い食べる


うまい

授業の組み立て方とよく使うフレーズ

授業の組み立て方として、

・最初は、ウォーミングアップのクイズから入って、前回の復習を軽く入れる


・そして、この時間に習得してほしいこと、達成したいことを宣言する。
 

  例;ウォータータンクの高さを計算で求めよう(られるようになる)


・なるべく(無理やりでも)エピソードをつけて、話をする

  例;この間おばあさんにウガリの作り方を聞いたら粉と水が2:3だと言われて・・・


・授業の中で一回は笑いが起こるようにする(中盤以降で)

  ありがたいことに、こちらの人たちはすぐに笑ってくれるから、息抜きが簡単


・できる限り生徒が説明する機会を作る

  例;黒板にわざと間違ったことを書いたり、生徒を前に呼んで解説してもらうなど


・最後に簡単な復習をする。宣言が達成されたかどうか確認したり、大事な所を繰り返したりする。





授業の中で、「今、おれは何て言った?」と聞くようにしている


大事な部分や気を付けてほしい部分があったら、「今から言うから聞いてね」と念を押して、
そして説明した後にコレである。

一回の授業の中で2,3回以内(本当に大事な所でだけ使う)


聞いてなかったことが判明した生徒は、前へ出てきてpiga magoti(正座)である
次の質問に答えられたら自分の席に戻れる


言ったことを繰り返すだけという簡単な質問だから、
だいたいクラスのみんなはちゃんと分かっていて、
もし自分が答えられなくて正座させられたら恥ずかしいらしく

最近は「今から言うから聞いてね」と言ったらちゃんと話を聞く

そしていったん聞けば彼らは持ち前の記憶力で覚えてしまうのだ。



・・・・う~ん、「オレ何て言った?」はいい質問だと思う

中日ドラゴンズの元監督 落合さんが言っていたのをパクったのだが、


効果が高い。あんまりやりすぎるとよくないが、その授業の大切な部分を印象付けるのにめちゃくちゃ使える。

2013年11月13日水曜日

女子バレー新戦術

女子バレー日本代表が新戦術、「世界と同じことをしていては勝てない」

というニュースを見た。多彩なパターンで的をしぼらせない戦術らしい。


すごいなぁ、これだけ長年やってきて、まだ進化する余地を見せているなんて。



知らなかったのだが、女子バレーで日本は世界3位だそうだ。


1ブラジル 2アメリカ 3日本 4イタリア 5中国


ということで、明らかに日本の身長が低い



頭を使う事で世界と対等に戦っていく、というのはかっこよく見える



陸上の短距離みたいに純粋なスポーツは、生まれつき持っているものの差が努力で埋めきれないような気がするが、競技人数が多くなったり制限が多くなったりすると、才能のない人にも創意工夫で挽回する余地が出てくる。


サッカーは手を使えないし、バスケットはボールをつきながらしか移動できないし、ラグビーは前にパスが出せないし、テニスはネットがあってラケットでボールを打つし、・・・


制限があるから面白くなるのかな

2013年11月12日火曜日

ちょっとしたピンチー湿疹と企画

授業は楽しくやれているのだが、

それ以外の部分でちょっとしたピンチを迎えている


まず、なんだかよく分からない湿疹がたくさんでき始めた
何だろう・・・手とか足とか腰とか・・・すぐに治るといいのだけれども



そして、タンザニア教育研究会(協力隊の隊員の集まり)で出した企画
『国家試験対策・問題集作成』と『模擬授業大会』



『問題集作成』については、

数学の単元をひとりひとり割り振って、来年の3月までに問題と答え(詳しい解説は今回ナシ)をみんなで持ち寄って作りましょう
という企画にしようとしてたのだが、「解説がなければ意味がないだろう」というごもっともな意見が出てきて・・・

うーん、締め切りを延ばして6月までとかにすれば完璧なものが作れるだろうけど・・・

・企画したオレが3月に日本に帰ってしまうため、丸投げになってしまう
・締め切りまで半年間もあるような仕事を、任期2年の隊員が背負うのは重たくないか?
・どうせ6月締めにしたところで、実際に取り掛かるのは直前で、結局間に合わない人が出るのでは?

といったような不安がよぎる


個人的に描いていたビジョンとしては、いったん3月までに形にして(この状態でもまぁまぁ使える)、その後タンザニアに残る隊員たちが解説を作りたければアップグレードしていく、というようなものだったんだけれど

まぁみんな、どうせ作るなら完全なものがいいよなぁ。

どうするか・・・・いい案を考えないと


正直「めんどうくさい」とか「完成してもオレは使えないんだからどうでもいいやん(日本に帰っちゃうから)」「やらない人に批判されてまでやる筋合いないでしょ」という自分の心の弱い声もたまに聞こえてくるのだけど(笑)

やらないよりはやった方が間違いなく良いし、賛成してくれる人がほとんどだし、張り切ってやる。





『模擬授業大会』については、

アンケートで「この人の授業を見てみたい」という票をたくさん獲得するような人は「模擬授業をしたくない」と言っている状況で・・・


「ぜひやりたい」という人にもやってほしいけど、票の多かった人にもお願いしたいんだよな
そのバランスとりが難しい



          ☆          ☆          ☆

前にも書いたかもしれないが、「模擬授業」とか「研究授業」のように、他の人に授業を見てもらってフィードバックをもらうことはイイ事ずくめなのだ

良かった点を教えてもらって自信をつけたり、改善点を教えてもらって授業をよくしていったり・・・


もし自分の授業を他の人に見られたくない理由が「恥ずかしいから」という場合は、なおさら見てもらった方がいいと思う

恥ずかしい授業を、自分の教える何十人の生徒にやり続けるのですか?ということだから





また、授業を見る人にとってもすごくためになるはず

いい点を見つけたら盗ませてもらったり、「オレも授業したい!」とモチベーションが上がったり、改善点を指摘しながら「オレもこういうやり方をしないように気を付けよう」と改めて意識したり・・・


もし「○○くんの授業は見ても無駄だ」なんてことを言う場合は、よく勉強しなきゃいけないってことだと思う

いい授業をを見れば「盗もう」「やってみよう」と思うし、下手な授業を見たって「この部分を反面教師にしよう」「最近○○を気を付けるのを忘れていたな」と自分の授業の振り返りに役立つ


授業を見させてもらっても何にも学ぶものがないなんて、自分の視野が狭くなっている証拠だし、自分の姿もちゃんと把握できていないってことなんじゃないかと思う

自分がそう思ったら、勉強をして視野を広げて、自分をしっかり振り返る必要がある

2013年11月11日月曜日

色つきマグネット作戦・・と犬

 
正の数と負の数の計算の説明で最近使っているもの

色つきマグネット
4-3-5を表している
 
4 と -3 と -5 に分解して考える

同じ色は足し合わせられる
これで4とー8になった
 
正の数と、負の数を比べて、
負の数の方が数字の部分(絶対値)が大きい

色が違うと相殺される
負の数の絶対値8から、正の数4を引き算
 
残るのは負の数が4つ
つまりー4が答え
 
 
 
とにかく、「-10-3+2が
-10-5になって
-5になる」
と間違いまくる生徒はまだまだいるので、
根気強く繰り返し演習する
 
・・・
 
 
最後に、この間ウチで2日間だけ預かっていた犬
 
癒されるなぁ~

2013年11月7日木曜日

ハエのダイブと捕まった鳥

外でご飯を食べていると、ハエが寄ってくるのだが

ときどき、そのうちの2匹がもつれて(ぶつかるのかケンカなのか分からないけれども)机の上に落ちてくることがある


昼飯を食べていると、例によってもつれたハエの一匹がスープに落ちてきて

溺れて動かなくなった



・・・・


こういうとき、もつれていたもう片方のハエって何も感じないのかな?


罪悪感とか悲しみとか・・・


見てるこっちがちょっとさみしくなってしまった


っていうか、人が食ってる食べ物の中に落ちてくるなー!(>_<)



          ☆          ☆          ☆


そんなこんなモヤモヤしていると、一人の若者がやってきて、

店員に「ナイフを貸してくれ」とお願いしている


よく見ると、鳥を持っている


つかまえたから、これから食べるということらしい(どうやってつかまえたんだ!?)


うまいのか?と疑ったが、後で聞いてみたら「おいしかった」とのこと

2013年11月5日火曜日

ある実験とケーキミックスの話

ある実験があった

実験者が持たされた紙には、ランダムにたくさんのアルファベットが並べられている
そして、同じ並び方でアルファベットが書かれた紙を、たくさんの紙の中から見つけ出して、検査官に渡すという実験

その検査官の反応が
 ①さっと紙に目を通して確認し、「どうも」と言って手元に置く
 ②目を通さず、何も言わず手元に置く
 ③目を通さず、何も言わずシュレッダーにかける
の3パターンあって、

①のパターンでは、③のパターンより2倍意欲的に実験者が作業をしたのだ

そして、②のパターンは③のパターンとそう変わらない意欲性だった


結論;相手の努力を無視することは、それを破り捨てるのと同等のモチベーション低下を招く

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ケーキミックスの話

水を入れて焼くだけで完成するケーキミックスの売れ行きがよくない
会社の人は、どうしたらもっと売れるか考え、
ケーキミックスの中身から卵と牛乳の成分を抜いて売り出したら、より売れるようになった

手間暇が増える分、「私ががんばって作ったケーキだ」と他の人にも食べさせられるようになったからだそうだ


結論;がんばって作ったものは自分自身が高い評価をすることができ、またそれが自信にもなる



          ☆          ☆          ☆

上の2つの話を知り、生徒のモチベートの一つの形が思い浮かんだ


「簡単ですぐにできるものだったら、生徒もなんとか取り組んでくれるかな」という発想とは逆に、
少し手間暇のかかる課題を投げかけてみる
そして、ちょっとでも課題達成に向けて頑張っていたら、それをもらさずに認め評価する


・・・今でもよく考える事なのだが、学校の授業って、国内で有数のすごく教え方のうまい講師の授業をビデオで録画して、それを生徒が見た方がいいんじゃないかと思うことがあるのだ


「現場で、生身の人間が教えるメリットってなに?」


それについてはいろんなことを考えてきたけれど、今回の話はそのメリットに入れられる気がする



なぜなら、やはりビデオだと、分かりやすい解説がたくさん出てきて、「できるね、次。はいできるね、次。はいわかるね、次・・・・・」と進めていくタイプの授業になってしまいがちだと思うし、また勉強する人の途中までの努力が報われづらいように感じる


生身の人間が教えるメリットの1つ・・・・「モチベート」


課題が難しくて生徒が分からなくなっても、途中途中の達成や努力を評価してモチベートして、自信をつけてもらう


こうやって書くと当たり前のように感じるけど、日々の授業の中で意識できてないときも多い

そうなると、ビデオの方がいいってなっちゃうかもしれないもんね

意識しようと思う

2013年11月4日月曜日

ハリーポッター

ハリーポッター(第1巻)

 
以前本屋に置いてあるのを見つけ、なつかしくなって買ったやつ


初めて読んだのはずいぶん前


すごく面白かったことを覚えている
スリリングで、夜中でも布団の上で読んでいた
そして話の最後ではすごーくスッとして終われた

そして、「あぁ~、実はオレも魔法使いとかで、誰かから新しい世界への招待状とか来ないかな」
なんて考えたりしたのだ(笑)


この本では、主人公のハリーは最初親戚の家の中で虐げられた生活をしていて、あるとき急に「実はお前は魔法使いだ」「実はお前は、赤ん坊の時に凶悪な魔法使いの力を打ち砕いた、ヒーローで魔法使いでお前を知らない者はいないほどだ」と知らされ、そして魔法学校に入学して、なんだかんだで最後には世界を救うことになっていく


この本に限らず、ほかの本やゲームでも、主人公が
「お前は選ばれた者なのだ」
と言われて世界を救ったり、偉業を成し遂げたりする話は多い



そういうのを見終わった後、決まって
「あぁ~、自分も何か特別なものを持っていて、誰かがそれを見つけてくれないかな」
と妄想したりする


でも、実際にはそんなことは起こらなくて、「やっぱりな・・・」となんとなく劣等感

こんな人は多いのかもしれない



          ☆          ☆          ☆

現実の世界で活躍している人を見ると「あの人は才能があったんだ」とか「私とはもともと違う人(選ばれた人間)なんだ」って考えてしまうこともあるかもしれない


でも、実際はそういう人達は「それをやろうとする意志」を持っていて、苦労しながらもその意思を実行に移し続けたということなんだろうと思う


「誰かがオレの才能を見つけて、道を示してくれないかな」なんて夢物語(笑)みたいなことを考えている時間があったら、何かやろうと決めて何か月でも何年でもやり続けることが大切


この年になってくるとさすがに、自分が「選ばれた」人間じゃないことは分かったし、まぁ地道にやっていきたいと思う


そして時々、ヒーローものの本や映画を見て、自分を重ねて楽しんだりする




そんなもんかな

2013年11月3日日曜日

となりの学校へ

「タニ、明日の朝、アクイナス(隣の私立の中学校)で授業をやるから来て」

と同僚に言われた。研究授業でもするのかなぁ?と思って

「他の先生も見に来るの?」と聞くと


「いや来ない」


・・・・じゃあなんなのだろう?と思ったがとりあえず行ってみた



その同僚が来て、続いてウチの生徒たちがぞろぞろとやってきて、教室を借りて物理の授業

原理の説明や

実験の動画など

そう、プロジェクターを使いたくてもウチの学校には電気が来ていないため、電気のある隣の学校の教室を借りたというわけだ

なるほど~


なかなか日本ではありえない状況だけど、いろんな部分で助け合ってやっているんだなと思った


この物理の動画や説明などが入ったCDはタンザニアで作られたもので、よくできているなと思った。

普段の授業では黒板でしか授業できないので、実際に見てみるというのは生徒たちにとっていい機会になったと思う




そして、このプロジェクターはウチの学校の機材だというのが驚きだった!

「何で電気が来てないのにプロジェクターがあるの??」と聞くと

「教育の改善プログラムの一環か何かで割り当てられた」ということらしい


・・・・いつか電気が来た時のためかな?それまでは使える学校に貸せればいいんだろうけど

2013年11月1日金曜日

改善と愛情

「改善」という視点


日本人は効率をすごく大切にする、勤勉な国民性だと思う


日本人同士の話の中でも「この行動は無意味だ」「この作業は時間の無駄だ」「やる気が足りていない」などという内容が結構出てくる


確かに発展途上国にボランティアとして来ている我々日本人から見ると、こちらの仕事ぶりやシステムについて、不効率だったり怠惰だったりするところがたくさん目につく


「ここがダメだから、改善していこう!」

という流れである

何もおかしい事はない

改善点を見つけ、改善をしていけば、よりよい仕事やシステムになるのだから





・・・・でも、


改善点ばかりを探していると、あら探しをしているようなもので、その対象への「愛情」だとか「信じる気持ち」などが減っていってしまうように感じるのだ


「うちの職場は○○だから」「タンザニア人は○○だから」「タンザニアの教育は○○だから」っていう話題になったときに、欠点やマイナス点しか思いつかなかったとしたら、好きでい続ける事や信じ続ける事って難しいと思う

結局、こちらが心の底でそんなふうに思っているってことを周りの人は見ぬいているし、そうなるとお互いの関係も少しずつ悪くなっていってしまうかもしれない




こういう失敗は、自分もやらかしていて


生徒に対して、どこが改善できるか(つまり欠点は何か)を探して、

「ここをこうすればいいと思う」とか「改善点はなんだと思う?」という話ばかりになる


穴埋め作業・・・・その人のいいところはいっぱいあるはずなのに、欠点についてばかり話をしてしまっては、相手だってこっちだって面白くない





「改善」は「KAIZEN」と外国でも言われるように、日本の素晴らしい文化のひとつだが、上に書いたような落とし穴があるんじゃないかな、と思うようになったのだ


今自分が住んでいる場所や環境、職場や学校、または関わっている人に対して

改善点を1つ見つけるなら、その2倍か3倍、いいところを絶対に見つけるようにする


なかなか難しいけれど、努力して積み重ねていければ、きっといいことが起こる・・・はず