2013年6月21日金曜日

子供たちのお見送り

今日はいい日だった。


今日は引っ越しをしたのだが、正直言うと何にも感情が起こらないというか、
「まぁ、引っ越しをするんだな」
と言った感じでたんたんと作業をしていた。

近所の兄ちゃんのトラックの荷台に荷物を置き、最後に自分が乗ろうとすると、

「タニ、どこへ行くの?」と近所の小さな女の子が聞いてきた。


「引っ越すんだよ」と言うと


「えぇ~!さみしいよ~!お互いようやく慣れてきたのに!」

と言ってくれたのだ。


結局、オレが荷台に乗って車が走り出すと、
近所の子供たちがぞろぞろ道へ出てきて、名前を呼んで手を振って見送ってくれたのだ。


・・う~ん、引っ越しをしようと思った原因の一つはあなたたちなんだが・・・

・・こうなってくると、すごくさみしい!


あまりにも素直な子供たちの行動に感動し感謝しながら、住んでいた家を去ったのだった。

来月からは新しい家での生活がスタートする。


初心に帰って、また一から始めるような気持ちで、自分にやれることをチャレンジしていきたい!

2013年6月19日水曜日

事故現場と大きな発想

最近、バスに乗るたびに事故現場を見ている気がする。

今日はバスでダルエスサラームからムトワラへ帰ってきたのだが、大型バスが道の横に横転していた。

前回バスに乗った時は、衝突してボコボコになった車の中から人を助け出そうとしているのを見た。


また、同期隊員の乗った車が事故を起こして2回転したという話も聞いた。


理由は様々だと思うが(道の悪さ、ドライバーの技術、スピードの出しすぎ、車の整備不良・・)

自分がこういった事故にいつ巻き込まれてもおかしくないのだ。


危なそうなバスには乗らない、シートベルトは閉める、など自分にできる範囲で自己防衛をしていかなくてはならない。



      ☆      ☆      ☆


同い年の隊員と話をしていて、面白いなと思う考え方があった。


日本人は「平均」と言うものを気にする。自分が平均より上なのか下なのか、またどのくらいの位置にいるのかというのが大事なのだ。

ただ、平均より下がダメだというのなら、世界人口で考えたときに、約35億人が平均以下だということになる。・・・平均以下でなにが悪いの?という考え方である。


6人のうち3人だけとか、10人のうち4人だけ、のように小さな枠組みで考えるのと、この世界人口の話のように大きな枠組みで考えるのとで、受ける印象が大きく違ってくるなと思った。


もし日本という小さな一つの国の中で、身の回りの少ない人達だけのことを考えて気持ちが窮屈になることがあったら、こうやって発想を大きくして考え直すとよいかもしれない。


2013年6月8日土曜日

聞いてないよ

今日で今学期は終了!長期休暇に入る。

ということで、明日からダルエスサラームへ行く。


今回は、「タンザニア教育研究会の定例会」と「隊員総会」があるため、結構忙しい。


荷物をまとめて、バススタンド近くのゲストハウス(安宿)へ移動しようと家を出た瞬間、偶然同僚に会った。


「タニ、どっかへ旅行に行くのか?」

「ダルに行くよ」

「なんでだ?」

「JICAの仕事があるから」

「いつ帰ってくるんだ?」

「2週間後だよ。」

「3日後から始まる補充授業はどうするんだ?」


「・・・・・・なにそれ?」


聞くところによると、成績の悪かった生徒のために学校で補充授業というのを行うらしい。



「聞いてないよそんなの!」


そんな素敵なシステムがあるとはいざしらず。


休暇中の予定は、仕事から遊びまですべて埋めてしまっている。


・・・あらかじめ言ってくれていればいろいろ考えたのに。



こちらでは何か月スパンの長期計画というのがほとんどなく、目前になってバタバタと調整をしたりすることが多い。

「明日◎◎して」と急に言われることも多く、「急に言われても予定があって無理だよ。もっと前に言ってくれてればよかったけど。」となる。


う~ん。今日出発するってことは2か月も前から校長に届け出て決めてたことなんだけど、


「タニは補充授業を手伝わない」

みたいな感じで、評価が下がっちゃうのかなぁ(笑) まぁ何にも悪い事してないからいいんだけど。

それにしても補充か・・・生徒が来るんだったらやりたかったな。

2013年6月7日金曜日

自分も楽しむ

今日たまたま見つけた義家弘介さんの言葉に、あぁ~本当にその通りだなぁと思った。


      ☆      ☆      ☆   

『(略)上達していった。しかしアンケート結果はまだまだという厳しいものだった。

 努力しても生徒に満足させられず、意欲的に取り組んでいた授業も、面倒で苦痛になってきた。

寝たりダルそうな生徒の姿を見て「俺のやる気もますますなくなるじゃねーか」と心の中でつぶやいたとき、突如、生徒たちを満足させられなかった理由が目の前に現れてきたような気がした。

思えば私は、いつも生徒たちの評価のみを気にして、生徒の反応を分析しながら、次の手を考え実践してきたのだった。

一番大切な「授業することを楽しむ」ということを置き去りにしてきたのだった。

授業する教師が心から授業を楽しめないで、どうして受る側の生徒が楽しみ、満足することができるだろう。』→引用終わり

      ☆      ☆      ☆


自分のこれまでの授業を振り返ると、「どうやったら生徒にとって分かりやすいか」というような「生徒がどう感じるか・・・」という視点だけで授業を作っていたように思う。

オレ自身にとっては楽しくない授業がほとんどだったと言っても過言ではない。「生徒ならまだしも、オレ(教師)が楽しむ必要はない」と当然のように思っていた気がする。

生徒を中心におく考え方は間違ってはいないだろうけど、
確かにこの文章にあるとおり、授業をする人が楽しんでいないのに受ける側に「楽しんでくれ」だの「集中してくれ」だのと要求されても、受ける側もやる気出ないよ~となるはず。

少なくとも自分だったらそう感じる。
その人に技術があっても、嫌々とかしんどい思いを持って教えられるのはやる気が出ないもの。(自分で教えてもらいに行ったのなら別として)


「こっちも楽しむ」という観点・・・教員6年目にして初めて意識する視点である。どうすりゃいいんだ。やったことがないから分からない(笑)

「授業するの好きでしょ?」と人から言われるほどになると、授業の雰囲気も変わるんだろうなと思った。まだまだこれから。

2013年6月5日水曜日

クラスに誰がいるのか?

学校の生徒用掲示板に張り出されていた紙


「あなたやあなたの友達の名前がクラス名簿になければ教えてください」


日本ではありえない話だが、ここでしばらく働いていると理解できる。


・出欠を生徒がとっている
・基本的に欠席の生徒が多い
・知らない間に転校生がクラスに入っている
・知らない間に留年生がクラスに追加されている
・知らない間に学校をやめたり変わって行ったりしている
・テストすら受けていない生徒が多い


こういう状況なので、クラス担任も教科担任も、だれがどのクラスの生徒なのか完璧に把握していないのだ。
成績をつけて家族に渡さなくちゃいけない状況になって、慌てて確認作業をしているのだろう。


オレは自分で出席をとるから、クラスの生徒をしっかり把握している方だと思うが、それでも

「え?あんただれ?」という生徒や
「あいつ休んでると思ったら学校やめてたの!?」とか
「名前が似てると思ってたら同一人物か!(本人が名前のスペルなど間違う)」とか

新しい学期が始まってから何か月たってもこういうことが起こる。


手間かもしれないけれど、生徒の入れ替えがあったらちゃんとクラス名簿を作り変えて(そもそも存在しないが)、いつでもだれでも見られるようにするべき。

一回一回の手間を惜しまずに行えば、ミスも減るし結果的に楽をできるのである。


そういう感覚はやっぱり大切。日本では当たり前だけれど、実は日本人の強みだったのかもしれない。

2013年6月4日火曜日

チナ

「チナ」

これは「中国」という意味で、タンザニア人が中国人と間違えて(もしくはアジア人を称して)呼んでくる言葉である。


こちらに来た当初は「間違われてるな」くらいにしか思っていなかったし、
単に呼びかけの言葉として使ってくる人が多いのだが、


何度も何度も言われるので、「違う、日本人だ」という思いがほんの少しずつ大きくなってくる。


また、「チナ!フーハー!ホーハー!ワハハハハ」と、

昔の中国のカンフー映画をネタにした、からかいの言葉がくることも多い。


こういうことがあると、挨拶の意味で悪意なく「チナ」と呼びかけてくる人達も、自分を馬鹿にしているように聞こえてイライラがつのる。


何か月という期間をかけて少しずつじわじわと大きくなっていくイライラ。



でも、毎回イライラするのも嫌なので、どう対処しようかとあれこれ試行錯誤してきた。


人によって対処法はいろいろだと思うが、
自分は最近これを「試練」だと思うようにしている。


自分の人間性を試すために用意された試練


・嫌なことを言われた時に、イライラせずにいられるか
・もしイラっとしても、その熱をすっと冷ませられるか
・もしイライラが冷ませられなかったとしても、それを態度や口に出さずに機嫌よくいられるか


そう考えると、毎日が修行である。


例えば今日は自転車に乗って買い物に行ったのだが、自転車をこいでいると・・・

「チナ!オイ!」近所の兄ちゃん

「フハホハー!」近所の兄ちゃん

「チナ!チナ!」サッカーをしている子供たち

「チナ!」村のおばちゃん

「フニャホニャ~」小学生

「フニャモナー、ワハハ」中学生

・・・


ありがたい話である(笑)こんなに大勢の人が試練を与えてくれるのだから


でも今は一人で家にいるから、ひと言叫びたい(笑)・・・

「オレはチナじゃないんだー!」

2013年6月3日月曜日

約5か月ぶりの水道水

家にいると、雨も降っていないのに、ぽたぽたと水の音が聞こえる。



もしかしてと思って確認してみると・・・





水が出ている!


水道から水が出たのは約5か月ぶりのこと。



5か月間飾りでしかなかった、この変な形の金属(蛇口)から水がいくらでも出てくるなんて、不思議な感覚である。


トイレに行って紐を引っ張ってみるとジャージャーと水が流れた。


嬉しい。


洗濯もしたい時にしたいだけできるし、体も毎日洗おう。


もうすぐ引っ越すけれども、最後の最後でこの喜びを味わえたという事はラッキーだったように思う。


誰が仕組んだわけでもないのに、楽しめるようウマいことできてるなぁ。


       ☆       ☆       ☆

おとなりの家(すごくイイ家)からバケツで水を買っていたのだけれど、これでもう買う必要がなくなった。


「水が来た」と言ったら、「おめでとう」と言われた。