2012年11月30日金曜日

私のボランティアスピリット・・?

ちょっと前に他の隊員と話をしたのだが、その中で
自分にとって思いもかけない発言を、自分がした事に驚いた。


「僕は、ボランティアを『してあげている』とは思わないし、ボランティアを『させてもらっている』とも思わない」


前者はいいとしても、後者の意見はいかがなものだろうか・・・(自分で言っておいて)


後になって、ちょっと自分の頭の中を整理してみた。



自分の中に「タンザニアの人たちと対等でありたい」という思いがあるんだと気付いた。

自分が偉そうに上から与えるでもない、
自分がへりくだって、彼らのために自己犠牲をするでもない、


同じように働いて、同じように休んで、同じ立場で仕事を分担していきたい


確かに自分は、「言葉がつたない事」と「タンザニア文化を知らない事」という巨大な弱点を持っているけれど、

「数学教育に関する知識は同僚より持っている事」、「タンザニア外の文化(日本だが)を知っている事」、「言葉や文化を知らないからこそ、生徒と一緒に成長していける事」、「理数科教師の不足分を授業で補える事」など、強みになる点も持っている。(こじつけもあるケド)


だから、日本で働くのと同じような気持ちで、
自分が抱えられそうな仕事でも、同僚と対等に分担してやっていたいのだ。


その中で、「こうすればうまくいくかもしれない」とか、「日本ではこうやっていたけど、どうかな?」とか、少しずつ現場の共感を得ていって、結果的に何かほんの少しでも、彼らにとってプラスになることが起こればいいなと思う。


「いや~、ほんとにがんばってくれた、いなくなると今後困っちゃうよ」
というより、
「一緒に仕事ができて楽しかった、充実できた。」
って言われるような活動を目指したいなと思う。



(実際、タンザニアで活動をしているこの状況、環境を与えられたことにはものすごく感謝をしている。たくさんの人の支援や、日本のお金が動いているのである。また心配してくれている家族や友達、知人もたくさんいる。感謝しますという言葉は、毎朝口に出すようにしている)

2012年11月29日木曜日

活動の一区切り


明日で、今年の授業が終わる。(その後は学年末テスト)
ウチは12月で学年が入れ替わるので、今教えている生徒を来年担当できるかどうかは分からない。

ということで、たった3か月だったけれども、ずっと言い続けてきた、
「数学をできるようにするために実践してほしい3つの方法」
を確認して、最後に授業アンケート(※下記)をとった。


そして、「来年先生は変わるかもしれないけど、3つのことは忘れないでください」

って言ったら、
「あぁ~、先生変わっちゃうんですか?」
「先生のままがいいです」
「I need you.」

という言葉が、(通販番組の観客の合いの手のような感じで)出てきた。


タンザニアの優しい文化である・・・・とはいえ、ウソでも嬉しい(笑)
3か月しか教えてなかったのに、ちょっと泣きそうになったもんね。


少なくとも、こちらに来たばかりの、自分のつたない授業を一生懸命聞いてくれたのである。



本当に感謝感謝。
アンケートをもとに授業を改善して、来年はもう少し彼らのニーズに沿った授業をする!




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

(※) 「授業アンケート」とは

日本で働いていたときには毎回とっていた授業に関するアンケート。
生徒に、授業のどこが良くてどこが悪かったのかを書いてもらう趣旨のもの。

・・・そういえば、教師一年目でとったアンケートは本当に悲惨で(改善点が山積みで)、
「うまくやれてるかもって思ってたけど、自分なんて教師として本当にダメダメなんだな」
ってスゴーーク落ち込んだ時の事を思い出した。


今、また「タンザニアで1年目の教師」として仕事を始めたばかり。
きっとかつての自分のように、生徒のニーズにそぐわない部分がたくさんあるんだと思う。


ドラッガーの言葉で
『顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない』


というものがすごく印象に残っている。
とにかく真正面から、どこがダメなの!?って聞いて、改善していきたい。


ただし、「英語でもスワヒリ語でもどっちでもいいよ。正直に書いて。」
と言ってしまったため、
ネイティブなスワヒリ語、もしくは分かりずらい英語、で書いてあり、
解読に時間がかかりそう(汗)・・・・と言っても、嬉しい悲鳴か(*^^)

甘かった・・・!

甘かった・・・!今日は反省の日。


今日は、担当している生徒の「mazoezi(演習)」の点数を提出する締切日だった。

自分が行った小テストの点数を記入して提出。


すると、クラスの担任の先生から

「タニ、なんでこんなに0点が多いの?」
と聞かれた。


「それは、休んでいたからですね。(もともと低い出席率が、小テストの日はさらに低くなる)」
と答えると、


「そう・・・タニ、知ってる?ここでは、小テストを欠席した生徒には、理由を聞いて、叱ったり、他の時間に小テストをやり直したり、違う課題を与えたりして、点数を別途与えるのよ。」

「そうだったんですか。」


「定期テストと演習との点数を合わせて成績を出すから(割合は50:50)、もし演習で点数が0点だと、テストで点が取れなかった時に、すごく低い成績がついてしまうでしょう?」

「点数が低くても、成績が低いとは限らないですが・・」


「いや、○○点ならA、△△点ならB、◇◇点ならC、・・・って決まってるから。」


「え、そうなんですか。(だったら、校長に言われて作った、国家試験レベルのテストでは良い成績がほとんどつかない事がここで判明)」


「それに、これだけ0点が多いと、監査が入った時に「なぜこんなに0点が多いのか」を聞かれることになると思うのね」

「そうなんですね・・・・私はどうすべきでしょうか?」


「例えば全員一律に20点の点数を与えるとか・・・」

「何が根拠の20点ですか?」


「うーん、あなたは考えがシステマチックなのね。。。まぁ、アカデミックオフィサー(教務担当の先生)に相談してみることね。」

「分かりました、ありがとうございます。」



・・・上のやりとりを見てもらえれば、「何をしてるんだバカタレー」とツッコミたくなると思う。入社したばかりの新人じゃないんだから・・・と自分でも思う。


こうなる事を予想できたはずなのに、今まで手を打たなかった自分の甘さに、ただただ反省。


○「演習」という制度があることを最近まで知らなかった
○その「演習」が成績に大きく影響を与えるということを知らなかった
○「演習」が日本でいう「平常点」のような意味合いを持っているということを知らなかった
○成績が、「テストの点」と「演習の点」によって自動的につけられるということを知らなかった

というのが直接的な原因なのだが、すべて根本に

「だって聞いてないから知らないもん」

というのがあった気がする。


日本では、評価や成績の部分については、外部の人にきちんと説明できるようにするためと、公平性を保つために、決まりがあったり会議で話し合いを繰り返したりして、評価基準をみんなで共有していた。その他にも、特に大切なことは会議やプリントなどで、何度もアナウンスをしてもらえた。また自分も同僚に対して何度もアナウンスをしていた。


このシステムに慣れていた自分は、「大事なことなら、特に外人である自分にはちゃんと教えてくれるだろう」という甘えが間違いなくあった。

う~ん・・しっかりしよう。

そんなシステムはないし、自分でどんどん先の予測をして、「ここはどうなってるんですか?」って聞いていく必要があるんだ。自分が持っている常識を取り払って、ほんとに小さなことから聞いていくことが大切。


この情けない失敗を活かして、明日からしっかり仕事をしていく!

2012年11月27日火曜日

授業中の写真(5か月)

先輩隊員が授業を見に来てくれた。
アドバイスもたくさんくれて、すごく参考になった!


その時に撮ってくれた授業中の風景


 
 
 
普段自分で自分の姿は見られないから、新鮮!

2012年11月25日日曜日

バスでの一コマ

バス(15人乗りくらい)に乗ったところ

コンダクターに「助手席へ移動してくれ」と言われ、助手席へ座った。


しばらく走った先の停留所で、運転手は小さなキャッサバを買い、食べ始めた。

すると、「カリブ~(食べていいよ)」と言って、分けてくれた

・・・のだが、




「どこに置いてんねん!」

と普通は言いたくなるかもしれない(白い粒は塩)


タンザニアではこれくらいは普通なのだが、
日本の人が見ると驚くかも・・・と思って写真を撮った。


こういう事にいちいち驚かなくなった自分。
日本に帰った時に、人に対してやってしまわないか心配(笑)

2012年11月24日土曜日

自己投資

自己投資 → 酒代 である。


・・・なにが自己投資やねん!と思うかもしれないが、


近所のお店に酒を飲みに行くと、スワヒリ語の勉強になるということが分かった。


そこで飲んでいるタンザニア人は、酔っているからすぐにペラペラ話しだすし、
オレが外人だからって気を遣うことなく、ネイティブのスピードで会話をしてくる。

こっちが「何言ってるのか分からない」顔をすると、すぐに他の人と話したり、
「なんだお前分からないのか」といった雰囲気を出してきたりする。


必死で食らいつくけど、結局置いてけぼりをくってしまうのだ。

家に帰ってから、分からなかった単語を調べて、「あ~~~!これを言ってたのか!!」
って強烈に納得すると、その単語はもう忘れない。


家でインプットをして、外でアウトプットとモチベーションアップ。この二本立てで行くために、


酒代は自己投資だと思って、使う!(・・・正当化しすぎ?笑)

2012年11月23日金曜日

井戸が枯れたら

学校の井戸が枯れてしまった。

・・・ということで、さっそく生徒たちが駆り出されて、井戸の中を掃除していた!


クモの巣や泥まみれになりながら掃除をする生徒たち。

偉いよなぁ。おかげで今度水をためる時はきれいな状態で使える。



☆☆☆
前まではオレンジを売っていた店が、今はパイナップルとマンゴーを売るようになった。
写真は、いつもおまけしてくれるお店。


ちなみに山になっている小さなマンゴーは一つ50シリング(=2.5円)なので、
ほとんど食べ放題と言ってもよい。

ただおいしいだけでなく、
豊富なビタミンCとカロテンを含み、糖質も多いため、
疲労回復や風邪の予防などにも効果がある。

ただし!ウルシ科の植物のため、食べ過ぎるとかぶれたり、
アレルギー症状を引き起こすこともあるそうな。・・・注意が必要!

2012年11月22日木曜日

活動計画表

12月に、「活動計画表」をJICAに提出することになっている。

これからの活動をどういったものにしていくのか、
配属先の人と話し合って予定を立てていくのである。

「え?タンザニアへ行って半年も経ってから提出するの?」
という疑問を持つ人がいるかもしれない。

しかし、自分の任地の事情が何もわかっていない初期の状態で計画表は作れないのだ。
活動しつつ状況を把握する期間があって、その後に予定が立てられる。


今日は校長に、「配属先が今後自分に求めること」は何か、改めて伺った。

返ってきた内容は簡単に言うと、
「教室、器具、電機、水、など様々なモノが不足しているから、お金を調達できないか」
ということだった。


少し現実を突き付けられたようで、考えさせられた。


本音としては
「マンパワーとして派遣されてきたので、お金がどうのこうのっていうより、
お金以外の面で何かできることをさせて欲しい。」
と言いたいところだが、

こちらの人からすると、本当に必要なのはお金に関係するものなのだ。
これが現実。

「援助プログラム等の紹介をすることはできますが、私がお金を集めて来ることはしません。」
とはっきりと断った。
もともと自分に対して出されていた要請内容とは違うことだし、それが根本的な解決になるとは思えないからだ。


これまで自分の視点で見てきた限り、この学校の問題点は「授業に出ていない生徒が多すぎる」という点だと思う。

やむを得ない理由なら仕方がないが、「サボり」があるのが現状。
要するに入学してからの指導の仕方を改善していくことが根本的な解決になるように思う。


学校の教職員に受け入れてもらえるような案を考えて、12月中に提示したい。

2012年11月20日火曜日

G-SHOCK

タンザニアに来る直前に買ったG-SHOCK
狙われないように、高価に見えない物を選んだ。
 

学校には時計がないので、毎日必ず着けて行っているのだが、

手や腕についたチョークの粉を、水で時計ごと洗い流していると、
「はっ!!先生!時計が濡れちゃってますよ!!壊れる!」
と生徒がすごーく心配してくれる。


また、こちらの学校ではチャイム代わりに、担当の生徒が鐘をカンカン鳴らすのだが、
時間より10分も早く鐘を鳴らそうとするから、
「ちがうよ、今の時間はこれだよ」と時計を見せた。
「でも僕の時計ではこうなんです」
「いや、これは正しいから」
「?・・・分かりました。(なぜ正しいと言い切れるのか不思議がった感じで)」
というやり取りがあった。


防水(防塵)だし、電波時計(各国主要都市)だし、ソーラーパワーで動くし、衝撃に強いし、
暗闇では節電モードになるし、ボタンを押せば光るし、

多分どれもこっちの生徒が知っている腕時計にはついていない機能。

まさかこれだけの機能がついているとは思っていまい。
今後もこっちの人には、「日本で買った安い時計」ってことにしておく予定。

しかし改めて・・・すごい技術だよなぁ。今の自分が欲しい機能が全部付いている。

MAKUYA(マクヤ)

日曜日はマクヤといって、ムトワラで行われる伝統ダンスのお祭りに行ってきた。

地方から参加チームが集まってきて、それぞれ披露するもの。(よさこいみたいなものか)

 
 
 
 
 

衣装や楽器を持ち込み、それぞれの村の踊りを踊っていた。

一つ一つが全然違うもので面白いなと思った。

特に優勝を決めるというようなことはなく、披露するだけ。
たくさん人も来ており、盛り上がったのだった。

2012年11月19日月曜日

ウチの鍵



よくよく見てみると、おもちゃみたいな鍵である。

プロの手にかかれば、ドアは簡単に開けられちゃうんだろうな(笑)

日本の鍵(ピッキング防止機能がついてる)はすごく工夫されているな~と実感!

2012年11月17日土曜日

チャイの時間

質問があったので、その内容について・・・

>洗面器に山盛りされてる、砂?みたいなものは、何ですか?
  
      これらは実は砂ではなくて、小麦粉やトウモロコシ粉、豆や塩、砂糖など(笑)
   250g、500g、1kgなど、量り売りをしている。
   虫、砂、はもちろんつくけれど、あんまり気にしない。

>外見からは、冷たくて安全なミネラルウォーターが売ってるとは、思えないけど
  
      あぁ、そうか。むしろ自分にとっては「キレイで品ぞろえがいい店」と思って愛用している(笑)
   でも、来たばっかりのころはキレイだとは思えなったなぁ・・・慣れたってことかな。
   市販のミネラルウォーターが、冷やして売られている(^_^)
  
  ☆ちなみに、タンザニア人は結構きれい好き。毎日掃き掃除をしているし、
   手を洗う用の水はあたたかい(一度煮沸している)ものも多い。
   汚いと、病気になるリスクを上げてしまうってことを、分かっているんだと思う。

>毎日歩いての通勤ですか?どのくらいの距離と時間の位置にあるのか
  
     自転車の空気が抜けて以来、「歩けばいいや」と思って歩いて通勤している。
  歩くと家から学校までは10分~15分くらいである。


さて、今日はお昼10;40~の「チャイ(お茶)の時間」に食べているものを紹介


左上がチャパティ。下がマンダジ(パンみたいなもの)。右上がウジ。

キャッサバの季節が終わってしまってからは、このウジという飲み物をよく飲んでいる。
ウジは、あわやひえなどが入った、温かく栄養価の高い飲み物。
砂糖が入っていて、甘くておいしい。

・・・しかし我ながら、キャッサバとかあわ、ひえとか、安い物の方が好きって言うのは、
とっても経済的。

2012年11月16日金曜日

なぜ間違うのか

今回は数学の話

連立方程式や二次方程式などを教えているのだが、生徒を見ていると

それ以前の基本的なところでのつまづきが多くみられる。

彼らは大真面目である。

これが正しくできるかどうかは「一行目の式がどう見えているか?」にかかっている。

恐らく、彼らの思考を推察するに・・・


「5」、「2x」、そして「5-3」が浮かび上がって見えているのだと思う。


しっかり学習ができていると、(下の写真は正解)

「-5」、「2x」、「5」、そして「-3y」がそれぞれ浮かび上がって見えるはずだ。
(少なくともオレはそうだ)


こういうのって、繰り返し繰り返し練習をして、無意識にできるようになるものだと思う。
(九九をすらすら言えるようになるのも同じこと)

彼らは初等学校(小1~中1)のときに、繰り返し学習をしっかりできていなかったのだと思う。
日本でいう中学2年生になっても、「かけ算表」を見ないとかけ算ができない生徒が
いるくらいなのである。


自分が中学校(福井県)に通っていた時、「ドリコン(ドリルコンテスト?)」といって、
週ごとに演習問題を繰り返し繰り返しやらされていたのを思い出した。
・・・でも、あの経験で今の基礎ができていたのかと思うと、すごくありがたいと思える。


授業の初めに百マス計算、というのが日本で流行ったが(今でも?)、

授業の初めに基礎の計算ルールの確認、を繰り返し繰り返しやっていこうと思った。


・・・ちなみに彼らに「-3-2は?」って聞くと、高確率で「-1です!」って間違いの返事がくる。
オレからすると、「あぁ~、その手(間違え方)があったか。」

生徒たちは、毎日すばらしい間違え方を発掘してくれるので、
どうして間違ったのか、その考え方を解明するのが楽しい(笑)

2012年11月15日木曜日

近所のお店

いつも買い物をしているお店



生活雑貨が売られている。
ここで一番よく買うものは


「水」


である。冷たい水が置いてあるので、毎日のようにここに買いに来ている。

これからもずっとお世話になる予定!

2012年11月14日水曜日

テスト作成〆切

「明日(11月13日)、試験問題の作成〆切だけど、もうテスト用紙作った?」
昨日、(真面目な)同僚から言われた言葉である。

「え?・・・・そうなの?」

10月に校長に確認した時は、11月22日が〆切だということだったのだが・・・

「いや、前に聞いたときは違う日って言ってたよ」
「でもほら、掲示板にはってあるでしょ」

よく見ると、結構前に終了した模試の日程表(捨てるべき紙)の横に、手書きの紙が貼ってあった!

いつから貼ってたんだコレ!?う~ん、気づかなかったゾ~。


くそ~、今週中に仕上げれば、むしろ「おっ!さすが作るの早いね~!」なんて
喜んでもらえると思ったのに!


しかも、テスト範囲は「入学してから今までに習ったこと全部」である。

これ自体にもすごく驚いたのだが、とにかく全範囲から問題を選んでテストを作らなきゃならん!


徹夜覚悟!しかし・・・
パソコンで作るにしても、ウチのソーラーパワーでは徹夜できるだけの充電は不可能。

ということで、ムトワラにあるJICAのオフィスで泊まり込みでテスト作成をすることに!


深夜2時半までねばって、仮眠して、早朝4時半に起きて続きをやり・・・
という、レポート〆切前日のダメダメ大学生のような一日を送ったのだった。


一応できあがったので学校に持って行った。
ただ、バタバタ作ったので、手直しをしたい部分があり
「今日が〆切だけど、もし可能ならば明日の朝に手直しして提出してもいいですか?」
「とりあえず今日提出して」
「分かりました。明日はダメってことですね?」
「明日でもいいけど、そのテスト用紙をチェックしてもらって、そのままでOKがでたらもう直さなくていいじゃない。」
「いや、『僕が』直したいと思ってるんですよ。」

というかみ合わないやり取りをして、結局次の日に提出することになった。今はその作業中である。

そういえば、そもそも他の先生たちは提出したのかな?・・・・・
今日はテスト作成締切日でバタバタするはずだったのに、
「(いきなり)職員会議」が開かれ、しかも5時間半!!かかったから、
ほとんどみんな提出してないんじゃなかろうか。

まぁ、とにかく!がんばって明日の朝に完成版を提出しよう(^_^メ)

2012年11月12日月曜日

体罰について(その3)

長い間いろいろ考えているのだが、

最終的には体罰はなくなって、コトバで指導がなされるようになってほしい

という自分の感覚は変わらなかった。これは目指していきたい事のひとつ。


とはいえ、ただ
「体罰はやめましょう」
と言ったところで事態は変わらないし、

「やめろ!」
といって止めさせたところで、生徒は好き勝手をするようになるだろうし、

本当の意味での解決にはならない。



・・・体罰について改善したければ、

①「タンザニア人(生徒も教師も)に合った生徒指導のシステムを提案すること」
②「教師に体罰という手段をとらせないよう、生徒の方に働きかけていくこと」

の2つの方法が思いつく。

はっきり言って、①にはすごく時間がかかる。少なくとも自分の活動中にできる内容ではない。(何代にもわたって取り組むのならあるいは・・・)



②の内容は、もしかしたら自分にもできるかもしれない。
まだ入学したばかりの時期から、「コトバで理解していくこと」を話して聞かせ続けるのである。

小学校卒業までにたくさん叩かれて育ってきた生徒たちなので、
第一段階では、「先生に棒を使わせないでね(体罰をさせないでね)」という指導になるだろうか。

これは、「ある一定のラインを越えると体罰は行われるよ」という体罰ありきの指導なのだが、
仕方がないように思う。
逆に、ここでラインを越えた生徒をなぁなぁにして終わらせてしまうと意味がない。
この段階での体罰は避けられないように思う。(自分もここの教師なので例外ではない)


段階を上げることができれば、体罰は「問題行動が起こってからの対処方法」ではなく、
「問題行動が起こってしまうのを防ぐためのもの」へ変わり、

教師が「必要があれば体罰はするけれど、ウチはする必要がないんだよね!」と言うような学校へ近づけるように思う。


水面下で個人的に、または協力してくれる教師と一緒に、または学校全体で、
どれだけ徹底して生徒に話をしていくことができるのか。

これが重要になるだろう。

この観点からいくと、来年はForm1(1年生)の担当をぜひやらせてもらいたいと思う。


(これまで長々と自分の思いを書いてきたが、今後変わっていく可能性はある。また、たくさんの問題発言を含んでいることも承知である。ただ、逃げてはいけないのだと思う。この学校、国にお世話になっている身として何をすべきか、考え続けたいと思う)

2012年11月11日日曜日

体罰について(その2)

しかし最近は、日々体罰を目の当たりにして、

「なぜ体罰が必要なのだろう?」
「体罰は失くせないのだろうか?」
「叱られた内容についてなぜいけないのか、生徒は真に理解しているのか?」
「日本のやり方を導入してうまくやれないか?」
「生徒たちの成長や学校運営にとってプラスになっているのか?」
「子供の人権を考えるとどうなのか?」
「悪いことをしていない生徒が傷つくようなことは起こっていないのか?」

といったようなことを真剣に考える。


こちらの先生は、
「棒でたたかないと、生徒の悪い行動をやめさせられない。その場では口で「分かった」と言っても、彼らは繰り返すんだ。」
「日本では、どうしているんだ?」

と言う。


考えてみると、
日本で働いていた学校では、教科の教員が毎回授業でコミュニケーションをとって、次には担任がいて、次には学年部長(その学年の担任団の部長)がいて、生徒指導部があって、・・・・・と、段階をふんだ指導があった。

また、起こした問題の程度によって、もし家庭謹慎や登校謹慎(学校内の別室で謹慎)ということがになったとして、教員が家庭訪問を毎日行ったり、反省文を書いてそれについて話し合ったり、自宅学習の状況についてチェックしたりなど、「ただ家にいさせる」だけでなく、「日々改善に向けての指導」をしていく。

こういったように、ただ授業の中で教科担当の教員が注意して終わるのではなく、学校のいろんな部署、たくさんの教員が連携して丁寧に指導を行っていたのである。


「日本では、そういう背景があった上で、生徒一人ひとりと話して指導していたよ」
と説明すると、

「それは大変な手間だ・・・」
と言っていた。



これまで見てきて、担任がきちんと機能しているようには見えないし、生徒指導部というのもなさそうである。毎日勤務時間外に家庭訪問へ行く仕事などは、上からやれと言われても「No」と答えるだろう。

段階をふみつつ担当を変え、時間をかけて丁寧に・・・ということがないなら、
生徒の問題行動を見つけた教員による一回(だけ)の指導で、
「キツイお叱り」というのが必要になるだろう。

それで、「キツイお叱り」=「体罰」

ということになるのかもしれない。


個人的には、彼らの言っていることも分からなくはない。

体罰をしたがらない教員の授業では騒がしくなったりサボりが目立ったりする事実も見てきた。
体罰の厳しい学校では、風紀や出席率、授業態度もよく、結果的に国家試験の結果もよい、という状況もあった。
反対に体罰の緩い学校では、出席率が悪く、授業も締まりがなく、国家試験の結果も芳しくないという状況もあった。

→次回へ続く

体罰について(その1)

<体罰について、現段階で考えていること>

日本で仕事をしていた時は体罰は基本的にやらなかったつもりである。

「なんで?」と聞かれると、

◇日本では禁じられているから
◇やっちゃいけない感じがするから

というのが自分にとっての本音だったように思う。


つまり、『どうせ体罰はやっちゃいけないのだから、他の指導方法を模索する』
という方法をとり続けてきたのである。


もちろん、

◇子供にも、私たち大人と同じように人権があるから。教師だから生徒を痛めつけてよいというのは理由にならない
◇それで生徒が言うことを聞いたとしても、真に納得しているわけではないから。
◇体罰から逃れるために、ウソをついたり人のせいにしたりする性格を身に着けさせるかもしれないから。
◇本当に悪くない生徒を叩いてしまった場合、その生徒を深く傷つけてしまうから。」

・・・などなど、自分が納得する理由はたくさん挙げることができる。


でも、真正面から「体罰がなぜいけないのかという問い」に向き合ったことがあるのか!?

となると、胸を張って「はい。」とは言えない。
(正直に言うと、日本で働いていたときに、体罰が必要だと思う場面もあった。)



→次回へ続く

知らない家でメシだけ食って帰る外国人

学校から家に帰るときに、民家の軒先でご飯を食べているおばさん連中から

「カリブチャクラ~!(ごはんどうぞ)」

と言われる。いつもは、

「アサンテ~!(ありがとう)」

とだけ言って通り過ぎるのだが、

世間話をしているうちに、手を洗う用の水を用意してくれ、
自然に一緒に食べることになった!


・・・本当に誘ってくれていたんだ、と改めてビックリ。

おばさん達も、オレがいてもいなくても全然関係ないって感じで普通に話してるし、
子供とちょこちょこ話しながら食べて、

食べ終わったら、「じゃあ出発します」と言うと、

「カリブテナ~(また来てね)」

と言ってくれた。


『知らない家でメシだけ食って帰っていく外国人』
という構図は、日本の感覚で考えるとすごーーーーーく違和感があるのだが、
(はっきり言って無礼なヤツ?)

それを受け入れてくれる雰囲気がこちらにはある。

2012年11月10日土曜日

同じ食べ物ばかり

家の近所で食べる昼ごはん(昼夜兼用ごはん)はコレ


メニューっていうものは特になくて、ウガリか米が選べるだけ。

こっちの人たちは毎日同じものばかり食べているような気がする。
飽きないのかな?と思うけれども、気にしていない様子だ。


日本には数えきれないほどの料理があって、食材や調味料が豊富。
味付けも多種多様で、季節に関係なくいろんな野菜や果物も食べられる。

こっちは、その野菜や果物の季節が終われば市場から消え、
また新しい食材が並んでいく。


日本って、いい国なんだなって思った。
日本で働いていたときは、コンビニやスーパーで同じようなものばかり買って食べていたけれど、
今は、日本に帰ったらいろんなものを食べたい! と思うようになった。

人生の楽しみ方というか、そういうのがちょっとずつわかってきているのかもしれない(笑)

2012年11月9日金曜日

まだまだこれから


「タンザニアの人のために自分ができる事ってなんだろう?」

国際協力をするためにこの国へ来ている立場としては、自分なりの答えを持っていなきゃいかんのかもしれないが、

実はこの疑問に対して答えはまだ見つかっていない。


「そもそも、彼らは本当に困っているのだろうか?」と考えてしまう。

授業がしっかりとなされていない現状があったり、
出席率が非常に低かったり、
自学できる環境が整っていなかったり、
教師の授業が分かりにくかったり、
進学するお金が家になかったり・・・etc

日本と比較してたくさんの課題を見つけることができる。

でも、彼らが「それでも別にいいんじゃない?」と思っていて、生活が成り立っているのなら
それでいいのかもしれないと思うのだ。

貧しくても日々楽しく、挨拶や会話など知人との関わりを大切に生きているタンザニア人にとって、
効率的で勤勉な日本の働き方や勉強の仕方を教え込むことって、どうなのだろうか?彼らに合うのか?

分からない、というのが正直な所・・・



彼らが自ら進んで「それいいね。真似したい。」って思ってもらえるような事でないと、取り入れてもらうことは難しいのだろうと思う。

日本とタンザニアの違いに日々頭を悩ませたり、時々イライラしてしまうこともあるけれど、
こちらにはこちらの、長い歴史を持つ文化があるのだから、
自分もこの地で、働き方や生き方を勉強をさせてもらうくらいの気持ちでい続けたいと思う。


たくさん話して、たくさん関わっていく中で、彼らのニーズを見つけていきたい。
学校に勤めて2か月が経ったが、まだまだ「観察」の期間にいる。

2012年11月8日木曜日

貴重な経験

昨日は、タンザニア大使と、ムトワラ地区のボランティアとで一緒に食事をする予定だったのだけど、

急きょムトワラの県知事や教育大臣なども含めて「たくさんの偉い人達との」食事会に変更となった。

「こんな所に自分がいていいのだろうか?」とも思ったけれども、こうなったもんはしょうがない!
ということで、すごく貴重な経験(?)をさせてもらった。


さて、ボランティア同士で集まって話をする時とはちょっと違って、やっぱり「日本とタンザニア」や「日本とアフリカ」のように、大きな話になった。

来年(2013年)に横浜でアフリカ開発会議(TICAD)※が開催されるが、それに向けて「日本がタンザニア(アフリカ)の人達に喜んでもらうには何をすればよいか」というのを考える必要があるそうだ。

※日本政府が国連、世界銀行等と共催するアフリカの開発をテーマとする国際会議


・・・話を聞きながら、「そうなんだ~!知らなかった、面白い!」
と思う部分がすごくたくさんあった。

ただ実際、それらは中学や高校、日常生活でも勉強できた知識だったと思う(恥ずかしい話だが)。
なぜ自分にその知識がなかったのか・・・

それはかつての人は「興味がなかったから」、「暗記科目が苦手だったから」という原因だろう。

でも今は違う。「興味がある」し「暗記は苦手じゃなくなった」から、
人に比べて遅いかもしれないが、これから知識を増やしていけるはずだ。


知識は知識のまま頭の中にあるんじゃなくて、物事を考える時の材料になってくれて、
間違いなく自分の幅を広げてくれるものなんだって、今では思える。
「知識」は「テストの点を取るために苦痛とともに一時的に頭に詰め込むもの」ではないのだ。



さて、知識のない自分ではあるが、外交の話は一見難しいけれども

結局「国」と「国」との関係も「人」と「人」との関係なんだなって感じた。

相手がどう思うか、周りの人がどう思うか、っていうのがすごく重要なのだ。


だから相手のことをよく知る必要があって、そのためにはその国に行ったり、
話をしたり、先入観をなくして相手を尊重することが大切。

・・・なんだかまとまらない。他にもたくさん、勉強になることがあった。この機会をいただけたことに感謝したい。

2012年11月6日火曜日

支援物資!!

今日は・・・日本の実家から支援物資(?)が届いた!!!
日本を出発して2週間の旅を経て、無傷(じゃがりこ以外)で我が家へ到着したのだ。
途中でなくならなくてホントに良かった。ラッキー。


もう、ぜ~んぶ欲しいものだったから、
「やった~!!!(>_<)」
って感じ。

郵便局に荷物を受け取りに行ってから、家に帰って箱を開けるまで
クリスマスプレゼントをもらう時くらいドキドキしてたし、
入っているものをひとつひとつ取り出すたびに「ありがとう~(>_<)」って思った。

初めてケータイ、車を持った時より嬉しかったかなぁ(笑)

たくさん送ってくれた。「あ~、これはいらないな」って物は一つもなかった!!

Tシャツ・・・(日本製は肌触り、通気性共に抜群)
ヒートテック・・・(山登りのときに使用できる)
クリアホルダー・・・(ちょっとした紙をまとめられるのは便利)
消毒薬・・・(キャップ式で使いやすい)
バンドエイド・・・(いくらあっても重宝する)
黒板消し・・・(こっちでも買えるけど、すぐ壊れる)
靴下、パンツ・・・(手洗いでゴシゴシやると、ヨレヨレになる)
うちわ・・・(炭火を起こすときは絶対日本のうちわ!!)
ふりかけ・・・(毎日の同じ味に変化を与える)
おかゆ・・・(お腹を壊した時の食べ物)
サプリメント・・・(カルシウム。こちらでは摂取しずらい。)
インスタントラーメン・・・(外に出るのもおっくうなときに、手軽においしいもの)
スナック菓子・・・(こういうの、こっちにはないんだ(>_<))
クレヨン・・・(教材作りに使おう)
マヨネーズ・・・(小分けになってるやつ。このまま食べてやろうかな)
コーヒー粉・・・(私は断然日本のコーヒー派)
ミルクティー粉・・・(コーヒーとの2択を楽しめる)
あめちゃん・・・(頑張ってくれた子供にあげようかな)
下敷き・・・(欲しかった!ノートを破らずに書ける)
海苔(のり)・・・(何に使おうかな、想像が膨らむ)
焼き鳥の缶詰・・・(うれしすぎる)
ドライソーセージ・・・(絶対すぐ食べちゃう)
ビーフジャーキー・・・(とりあえず一口食べてしまった)
カレーのルー・・・(みんなでカレーを作って食べれる)
レトルトカレー・・・(忙しかったり、おいしいものを食べたいときにはコレ)
パックに入ったご飯・・・(開けたらすぐ日本のおいしいご飯が食べられるなんて・・・!)
お米・・・(日本の米は間違いなくおいしい。やっぱりこっちのご飯は・・違う(>_<))
味噌汁の素・・・(ときどき飲みたくなるから、うれしい)
音楽データを入れたUSB・・・(これで音楽が聞ける♪)


そして何より、近況が書かれている家族からの手紙と、家族の写真


最近、こちらの生活に慣れてきていたのだが、

やっぱり自分は日本人なんだということをちゃんと思い出した。
タンザニア人になっていくんじゃなくて、
「日本人として」、タンザニアでできることをしていこうと思った。


ほんとに感謝感謝。明日からまたがんばれる。

2012年11月5日月曜日

腸チフス・・・?

2、3週間前にお腹を壊したが、今ではすっかり治ったので「よかったよかった。」
と安心していたのだが、

お腹を壊す前に一緒にご飯を食べた韓国から来ているボランティア(KOICA)の人が、

腸チフス

にかかっていたということが分かった。

「腸チフス」とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<症状>
約7日~21日の潜伏期間の後、38~40℃の発熱が出現します。頭痛、寒気、身体のだるさを伴いやすく、腰痛、背部痛が出る事もあります。下痢、食欲不振、吐き気、嘔吐といった症状は少なく、むしろ、便秘傾向になりがちです。発熱は40℃以上に上がる時もあります。また、夜間に高熱で、朝には下がるのは比較的特徴的な熱の出かたです。発熱する前に、風邪様症状、軽い食中毒様症状が出る場合もあります。その他、特徴的な症状として、高熱のわりに脈拍数が少ない(毎分100回以下)、脈が規則的でなく、乱れる(多いと毎分10回、脈が途切れる)、脾臓がはれる、胸、お腹、背中に直径2~5ミリメートル程度の、ピンク~紅色の発疹(バラ疹:熱が高い時に出現し、数時間で消える)の出現があります。発熱以外の症状を殆ど伴わない事がありますが、これも腸チフスの一つの特徴と言えるかと思われます。約5%の確率で脳・髄膜炎を合併すると考えられております。
<経過>
治療を行わないでも、3~4週間で回復しますが、2~3週目に腸に孔があいたり、腸出血などの合併症が15~20%程度で出現し、死にいたる場合があります。また、再発したり、慢性のチフス菌保菌者になる事もあります。腸チフスに一度罹ったら抗体という抵抗力ができますが、この抗体はチフス菌が存在しない地域(日本等)での生活を続けますとなくなります。抗体がなくなるまでの期間には個人差がかなりありますので、一度罹ったから大丈夫だとは言えません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「外務省:世界の医療事情 各論1 腸チフス」より」

えぇぇ~!もしもコレにかかってたとしたらどうなのだろう。

・・・たまたま重症にならなかっただけ?(もしくは死ななかっただけ?)
・・・症状がなくても菌は体の中にいるの?
・・・菌を日本に持って帰ったら隔離されちゃうの?

不安がぐるぐると頭をよぎり、

心配になって病院を受診した。こちらに来て初めての受診である。


まずはマラリアの検査から始まった。
さすがはアフリカである。一番に疑われるのはマラリアなのだなと思った。
今回は「陰性」・・・まぁ、熱はなかったし、予防薬も飲んで蚊対策しっかりしてるから当然。


次はバクテリア検査。検便をして結果を待つ。

しばらくして検査担当の人から渡された結果用紙に、

「+++」

と書かれていた。
・・・・プラス?陽性ってこと?

と冷や汗をかきながらドクターの部屋へ行った。

ドクターいはく

「マラリアではない。そして・・・バクテリアもいない。帰っていいよ。」


あぁ~、よかった!ひとまず安心。

結局ただの食あたりだったのだろうか。

・・と思ったが、よく思い出してみると、我々日本から来たボランティア(JICA)は、以前に腸チフスの予防接種を受けていたのである。


予防接種のおかげで防げたのかもしれない。それにしてもJICA、さすがだなぁ。感謝感謝。

2012年11月1日木曜日

co.tz

パソコンをしていると、アドレスで、

 ~~~~co.jp

というのをよく見るが、この「シーオードットジェイピー」の、


「jp」って「ジャパン」だって知ってた?


・・・え?知ってたって?そうかぁ・・・自分は知らなかった(汗)


こちらタンザニアでは「co.tz」なのだ。「tanzania(タンザニア)」だから。

ちょっとした驚きだった。

カレンダー用の写真

タンザニアへ派遣されている隊員の写真を載せたカレンダーを、一年ごとに発行しているらしい。

なので、そのカレンダーに載せる写真が1枚必要になった。


・・・何を撮ろうかな、と考えたのだが、


自分の場合、この協力隊生活を象徴するのは間違いなく

「家の周りのガキンチョたち」

だと思う。いい思い出も、苦い思い出もたくさんある。



ということで、彼らと写真を撮ろうと思って声をかけ、

カメラを三脚にセットし、我が家をバックに撮影。

なかなか言うことを聞いてくれず、タイミングがずれたりカメラがずれたり・・・
(写っている子供たちの他にも、10人くらい子供がいる)



この機会に撮れたのはよかった。

日々生活していると彼らの存在は当たり前になっていて、

わざわざ写真を撮ろうとは思わなかったからだ。


彼らとの生活は、まだまだ続く・・・。