2013年5月31日金曜日

テストの点が悪いと・・・

最近、毎日のように職員室で生徒達が20~30人ずつ、棒で叩かれている。
普段叩かれなさそうな生徒まで叩かれているので、「なんでだろう?」と思って見ていると、

どうやらテストの点数が悪かったからということらしい。

・・・う~む。

ちなみに叩いている先生は、実はあまり授業に行っていない人である。

・・・う~む。

なるほど、この先生のテストで悪い点をとると叩かれるから、みんながんばって自分たちで暗記してテストに臨み、その結果叩かれる生徒がこれだけにとどまっているわけか(充分多いけど)

おれが教えてる数学なんて、叩かれる心配がないし、「数学は難しいからね」と納得してもらえるということもあり(実際難しいケド)、みんな点数が悪いもんね。

・・・う~む。

自分が小学校、中学校の時を思い返すと、テストの成績が悪ければ親に怒られたりして、「怒られるのは嫌だし勉強しなきゃ」という思いで頑張った記憶がある。
つらかったけれども頑張れたし、今の自分を作ったとも言えるよい経験である。
ただ、別に怒られなかったとしても、成績が悪ければ自分自身が嫌だったし頑張ろうと思っていたから、これが必要だったかと思うと分からない。

この叩かれている生徒たちが、「次は叩かれたくないから勉強しなきゃ」と思って、化学なら化学で勉強して頭に詰め込んで、なんとか合格点がとれたとして、その知識が何になるっていうのだろう。

もちろん頑張った経験は無駄ではないし、目標を達成した喜びは本物だけど、こういうことを繰り返していくうちに、「自分がやりたくて」立てた目標を「自分の意志で」達成していく能力や意欲というのが、どんどんそがれていくような気がするのだ。


叩かなかったら怠けて何にもしないから、それよりは叩いてでもやったほうがマシだ、という意見があってそれもその通りだなと思うけど、

まぁそれはその人の人生だから、別にいいんじゃないかとも思う。その人が「この人かっこいい」とか「こんな人になりたい」とか「この仕事は素敵だ」とか思えるものが見つかれば頑張り始めるんじゃないだろうか。

世の中の大人達がキラキラしてカッコよくて、仕事もプライベートも楽しそうにしていれば子供は自然と「ああなりたい」と思えて、頑張り始めるように思う。

あらさがしをしたり足を引っ張り合って、みんながつらくなる世の中じゃなくて、みんなが元気に・・・


・・・・う~む。なんの話だ・・・・


とにかく、あんまり目の前でビシバシ叩かれると、こんな感じでいろいろ考えてしまうからやめてほしい(笑)

2013年5月30日木曜日

タンザニアの笑い

家の近所のマーケットにある、行きつけの食堂にご飯を食べに行ったのだが、




マーケットは燃えて無くなっていた!

恐らくデモの際に焼けてしまったのだろう。



近くにいた女性に「食堂はどうなっちゃったの?」と聞いたら、

「火をつけられちゃったよ、アッハハハ」

と笑っている。

え~!アハハじゃないだろう!



少しぼうっとしていると、その食堂の兄ちゃんが外で食べ物を売っているのを見つけた。



「おうい、調子はどうだ?」といつものように聞いてくる。

「調子はいいよ。店はどうしたの?」

「警察が燃やしちゃったよ、だから外で仕事してるんだ。アッハハハ!」

本人も笑っている。

すると不思議なことに、なぜかこちらまで笑えたのだった。



笑った後に「Pole sana (お気の毒に)」と言うと、

「ありがとう、もう元気になってるよ」



自分の店を燃やされて、悲んだり落ち込んだりしたに違いないのだ。

でもそれを笑い飛ばして気丈に仕事をしている。


強いし、素敵だなぁと思った。

なかなかできないことだけれど、自分も頑張れるし周りも明るくするし、最高なことだ。


それに比べて自分は普段いかに小さなことでイライラしたり落ち込んだりして、それを態度に出してしまっていることか(笑)


タンザニアの「笑い」の奥深さというか、力強さを見た瞬間だった。



       ☆          ☆          ☆

このマーケットはムトワラの中でも特に激しくデモ活動が行われていた場所の一つで、道で爆弾を爆発させたりする人達が建物内に逃げ込んで行くため、建物を燃やすに至ったのだと考えられる。お店の人からすると、とんだとばっちりである。

ちなみに前回のデモのとき、このマーケットに買い物に来ていて、「警察が来た!逃げろ!」という声がしてから、食堂の中に隠れさせてもらった。その時は何事もなく済んだけれども、もしも今回そうしていたら建物ごと燃やされていたというのだから、何とも恐ろしい話である。

2013年5月27日月曜日

食べられる時に食べる!

デモから非難をしていたのだが、もう町も落ち着いて、お店も開くようになった。
 
避難をしている間に、佐賀のがばいばあちゃんを読んだ。
 

初めて読んだのだが、いい話だなぁと思った。

貧乏な生活をしたことはないが、つらい生活の部分は今共感できる(笑)



昨日の昼ごはんは賞味期限の過ぎたラーメン


賞味期限を2,3年過ぎてもまぁまぁおいしく食べられる。
意外と、お腹も壊さない。

その前は炊いた米とふりかけだった。


もう、おいしい物は食べられるうちに食べるようにしようと思った。

何が起こってご飯が食べられなくなるか分からないし、そうなってから後悔しても遅いのだ。


ということで、今日は外食!お菓子も買った!・・・・あぁ、お金がかさんでしまう(笑)

2013年5月23日木曜日

休校

デモは継続中


朝、学校に行く途中に小学校を通ったら、だれもいなかった。


もしや・・・と思いながら学校へ着くと、

やっぱり誰もいない


学校がないんだったら教えてよ!(笑)

という感じだったが、よく見ると教室や職員室にちらほらと人がいる。


結局生徒は10人ほど登校してきており、教員も3人ほどいた。


他の生徒や教員は来る気配がないし、なにより周りでドンドン鳴っているので、
すぐに下校という流れになり、今は自宅に帰ってきて仕事などしている。



まぁ、学校どころではないという考えは正しいと思うけれど・・・

流れで学校(仕事)がなくなるというのは、日本ではなかなか経験できないことだろうなと思った。



小学校3年生の阪神大震災の時、「今日は学校は行かんでいい」と言われ、家の中にずっといたのを思い出した。

・・・あの時も学校に行った先生や生徒がいたのかな。

デモ再発

ムトワラでデモが起こった。

例のガス開発の件が発端である。


学校にいると、朝10時ごろに花火のような爆発音が聞こえ、遠くで黒煙が上がっているのが見えた。乾いたパンパンという音も聞こえたので、警察が発砲したのかもしれない。

生徒は興奮気味で授業どころではなく、すぐに全校生徒が集められて、「落ち着け」という話がされた。その後生徒は教室に入って待機。


授業が終わってもずうっと爆発音が止まないので、学校から帰ることができない。

とはいえ学校に居続けるわけにもいかないので、
生徒は近い家同士で集まって「集団下校」をすることになった。できるだけ大勢で帰りなさい、自転車などを置いておきたい生徒は職員室の中に入れておきなさい、という指示があり、いつもとは違う下校風景だった。


家に帰ると、近所の人から電話がかかってきて、
「絶対に家から出るな」
と言われた。爆弾も危ないし、警察も発砲して死んだ人がいるから危ないと言っていた。(本当かどうかわからないが)


う~ん、さすがに今日は明るく元気にいるってワケにはいかなかったな。

心の奥にモヤモヤした重くて暗い感情がずっとあった。

悲しみというか怒りというか、蔑みというか・・・
「どうしてこんなことするんだろう」
「どうせほとんどが調子に乗った、騒ぎたいだけの若者なんだろう。本当に迷惑だ」
「建設的な意見を出して論理的に解決せず、こんなことしても意味ないのに、ばかなのかな」


物事を力で無理やり解決しようとすると、負の感情が次々と起こる。
それがすごく実感できる一日だった。



学校からの帰り道、爆弾から逃れるために歩いている人達とすれ違った。

すれ違いざまに、はにかみながら「わたし爆弾怖いよー」と冗談っぽく言う女の子がいた。
それまで嫌な気分で歩いていたのがその一言でふわっとなくなり、
笑いというか、安心というか、そういう感情が出てきたのである。

嫌なことがあっても、それを顔や態度に出さずに、周りをほっとさせられる人って素敵だなと思った。


孔雀は、毒を持った蛇やサソリを食べるが、自分はその毒に侵されずに美しい姿で人々を和ませる。

今日すれ違った女の子は、そんな孔雀のような感じがした。

2013年5月22日水曜日

虫はムシ

我が家にまたサソリが登場


しばらく見ないのですっかり忘れていたけれども、
ウチにはいるんだった。

クモの巣にひっかかってぶら下がっている
そんなに大きくはない



なんだかんだ言って、こっちへ来て虫には慣れた気がする。


といっても、虫がいても平気になったとか、すぐにスリッパでたたけるようになったとかそういうことではなく

「無視の仕方」が身についたのだと思う(笑)


トイレの中にハチがいたり、アブが自分の周りを飛び回ったりしたとき、
グッと目をつぶればあんまり気にならない。


目で追っていると怖~くなってくるんだけれども、
見なければあんまり気にならないものである。


サソリも目に入れなければあまり気にならない
・・・けど、こいつはさすがに・・危ないか(笑)

2013年5月20日月曜日

不穏な空気と最近の流行

最近、またムトワラの町に不穏な空気が漂っている。

ガス関連で、またデモが起こるというのだ。

前回、民衆によって道がところどころ封鎖されて、爆弾が爆発しまくっていたけれども、どうやら今回も同じようなデモを計画しているらしい。


うーむ。どうなることやら。


   ☆   ☆   ☆


さて話は変わって、最近自分の中で流行っているのがコレ!


もともと虫よけのために、登山用品店で買ったものなんだけど、
水を絞ったタオルをブンブンと振り回して温度を下げ、
このハッカ油をつけて体を拭くと、

涼しい!・・・・・いやむしろ、寒い

とにかくスーっとして、においも爽やかで、暑さがまぎれてすごくよいのだ。

暑い日中、仕事から帰ってきてすぐにこれをやるのが一日の喜び。

ウチにもついに電気が・・・・

6月は「隊員総会(タンザニアの隊員が集まる会)」、「タンザニア教育研究会の集まり」や「任国外旅行(南アフリカ、ザンビア)の予定がある。
また前にも書いたと思うが、7月からは新しい家に引っ越しすることになっている。

ということで、この家に滞在するのも実はあと少しの時間になった。(今は5月19日)

いろいろ不便なことがあったり、ストレスを感じることもあったけれども、精神面で自分を鍛えてくれたこの家。変なもんで、いざ離れるとなると愛着を感じる。住み心地をよくするために家を改造したのもよい思い出である。

引っ越しをするために荷物を少しずつまとめようとし始めているとき・・・

コンコン、とドアをノックする音

「はいー?」と出ると、
「タネスコです」と言う。
タネスコは、簡単に言うと電気会社で、要は我が家に電気をつなぎにやってきたということらしい。

ええええええ!!今さら!?

ウチの大家が、電気をつないでくれとタネスコに依頼したのは去年の11月である。
「電気が来るかも♪」なんていう期待はもはや消え去り、「電気が来るわけがない」とあきらめて引っ越しを決めたこのごろ・・・・・

まさかこのタイミングでやってくるとは。
まぁ、ないよりはあった方がいいか。次に住む人も住みやすくなるしね。

「どうぞどうぞ」と家の中に入ってもらう。
彼らはハシゴやら工具やらを持ってドタドタと入り、蚊取り線香入れをひっくり返したり、蚊帳をやぶったり、ランプを一つ壊したりしながら(笑) 家の中と外をつなぐ配線を設置した。

あとは電柱から我が家まで電線をひっぱってきて、つなぐだけで電気が使えるようになる。

「いま、工事の車が近くの大通りまで来ているから、家で待っててください」
と言われたので、家で待っていた。

待っていた

待っていた

待っていた

・・・

来ない

結局電気はつながらないままである。

工事の人はいつ来るのだろうか? というか本当に来るのだろうか?

今後の展開が楽しみである(笑)

2013年5月18日土曜日

作ったズボン

こっちで買った布を仕立て屋にお願いして、ズボンにしてもらったのだが、


実はこの格好で家の外に出るとすごーく笑われる(笑)

こういう布を羽織ったり腰に巻いたりするのは女性の服装なので、
注目の的になってしまうのだ。

家の近所の顔見知りだったら話のネタになって楽しいのだが、

市場やなんかに買い物に行こうものなら、からかいの種にしかならないので、
この服は部屋着になってしまっている。

まぁ、日本でもこれは・・・着て歩けないかな(笑)

2013年5月16日木曜日

相談すると助けてくれる

実はこの1、2週間、屋根に設置してあるソーラーパネルが強風でひっくり返ったままになっていて、すご~く暗い生活をおくっていた。


同僚に相談したところ、今日の放課後、生徒3人が長~くて重いはしごをもって自宅へやってきて、上へ登ってソーラーを元に戻してくれた。

「ありがとう」というと、何も言わずにそのままはしごを持って去って行った。
なんと頼もしい。



また、家さがしの件が少しずつ進んでいて、多分7月から新しい家に引っ越すことになりそう。

ただ、「家を探してる」と同僚に相談していたため、めぼしい家が見つかり交渉を始めている今も「新しい家見つけたよ~」と次々報告してくれる。
まぁ、これもありがたい話である。


彼らは、相談をすると助けてくれる。本当にありがたい。何かお返しができればいいのだけれど。

2013年5月14日火曜日

マインドマップ その後

マインドマップ その後

授業中はこういう感じで、黒板の横に看板のように立てて使っている。



これが学習にどれだけ役立つのかはまだ不明だが、
少なくとも授業をする側からするとけっこう便利である。

今この段階をやってるんだなとか、今月中にここまで終わらせないといけないんだなとか、
全体を把握しながら授業を進められる。


・・・そして、授業にいちいち看板を持っていくようになったので、
生徒が見かねて運ぶのを手伝ってくれるようになった。

「ありがとう」って言うやりとりが一日に数回あるというので、最近自分の気持ちが穏やかになったと思う。
やっぱり人に優しくされると調子が出てくるっていうか、元気になる。
ありがたい思わぬ収穫だった(笑)

2013年5月10日金曜日

時間軸

アッと実感したことがある。



自分は朝、家を出るときに腕時計をして「さぁ仕事へ行くか。」となるのだが

その腕時計をするまでは時計を見ないのである。


でも、だいたい時刻は分かる。腕時計をしたときに「やっぱりこれくらいの時刻か」となるのだ。


家に入ってくる日の光の加減や、家の周りの人達や動物たちの雰囲気・・・
そういうもので時刻が分かるようになった。


日本で暮らしていた時は部屋に時計がかかっていたし、朝のテレビは必ず時計が表示されていた。

それがない今、ちょっとばかし感覚が研ぎ澄まされてきたのかもしれない。



・・・そして、タンザニアの人達はこういう感じで生活してるんだろうなと実感した。

そりゃあ5分10分の遅刻はあるはずだ。

もっと大雑把な時間軸で動いているわけだから。

2013年5月9日木曜日

アフリカオオヤスデ

おそらく嫌~な写真を載せますよ・・・








下の写真にご注意ください・・・・・









コレ・・・いるんです。近所に。




アフリカオオヤスデ(最大全長30cm)
割と堅い殻に身を包んでいます





もし家の中で見つけたら「ッヒャア~~~!!」ですよ。

ちなみに写真は私の手ではないです。ネット上で見つけたこの画像が大きさを伝えられるかなと思って。



たいがいグルグルの渦巻き状になってじっとしています。

・・・まぁ害はない。よく見たらかわいいもんである。

2013年5月6日月曜日

新たな仕事の実感

今日はせっかくの休日だったが、風邪をひいてしまって一日中家の中にいた。

最近、今までにない肌荒れがあったり口内炎があったりして、
「もしかして栄養が足りてないのかな?」
と思っていた矢先の風邪だったので、これから食生活に気を付けるようにしよう、と思った。


やっぱり野菜や果物の不足があったのだろう。
そこそこ高いレストランへ行けば野菜をたくさん食べるが、そうそう行くものではない。

普段の食事だと、ほとんど野菜を食べない日が多くなっていた。
水不足で自炊をしたくなかったというのも原因だったように思う。


しかし最近、水をたくさん溜めたので、水には少し余裕があるのだ(*^^)
誕生日に同期隊員がくれた「みりん」をまだ使っていないので、インターネットで野菜を使った料理のレシピを検索して、少しずつ自炊で体調を整えていきたいと考えている。


ここまで10か月不摂生をしてきた。帰国まではあと11か月あるので、体調管理をして健康な状態を保つのも大切な仕事になってくるだろうなと思う。
(まぁある意味、今まで大病がなかっただけでもありがたい話である)

2013年5月4日土曜日

すばらしい文化とごはん

ちょっと前まで日本は冬だと思っていたけれど、
だんだん暖かくなってきて、最高気温が20度を超える所もあるらしい。


こちらはあいかわらず変わらない季節で(=夏)
時間の進み方がすごくゆっくりに感じる。



よくよく考えると、日本では四季を追ってるうちに一年が終わるような感じがする。

春夏秋冬がめまぐるしく変わって、今を過ごしながらも常に次の準備をしていかなくてはならない。


時間の進み方が早くて、生きていくのにたくさんの準備を必要とするのかなと思った。


日本の「もったいない」や「効率的に」「あらかじめ」という文化は、
四季によって養われているのかもしれない。
すばらしい文化だと思う。


      ☆      ☆      ☆

話は変わってしまうが、2月に日本へ一時帰国した際、感動したすばらしい食べ物

京都嵐山にある「廣川」のうなぎ
目から火花がバチバチ出るくらいにおいしかった
 
家で食べた水炊き
タンザニアにいると、こういうのがすごーく食べたくなる
 
そもそも、野菜をたくさん食べられるということが素晴らしくて、
日本のスーパーに並んでいる野菜の量を見ると改めてビックリする
 
何種類の野菜があるんだろう・・・?
ちなみにウチの最寄の店は、トマト、玉ねぎ、じゃがいも、とうがらし、ショウガしか置いていない
 


2013年5月3日金曜日

模擬授業から1年

去年の今頃は訓練所にいて、1度目の模擬授業が終わったところだった。
英語での授業をなんとか必死でやろうとしたのを思い出す。


あれから一年。

今は英語とスワヒリ語の混じった授業も当たり前になり(ぜんぜん流暢ではないが・・・)

そんなことより、どうやったら彼らが理解してくれるのか、という壁にぶち当たっている。


もはや英語とかスワヒリ語とかが問題ではなく、もっと根本的な「伝え方」というか、

絵とか図とか、ジェスチャーとか、眠気がなくなるユーモアやゲームとか・・・

やーっぱりそういうところなんだなぁ。



一年後には日本に帰って仕事をしているのである。不思議な感覚。

きっと、日本でも同じような壁にぶち当たり続けるんだろうと思う。

特別アフリカにいるからこうしなきゃああしなきゃってことではなく、

同じように教員の仕事をこなしていく。そんな現在

      ☆      ☆      ☆

最近、日本のニュースを見ていないので、今どうなっているのだろうとふと疑問に思った。

どうなんだろう・・・変わっているのかな?(^_^)

調べてみようと思う