2013年8月3日土曜日

ラマダン(断食)から思うこと

今はラマダン(断食)の期間


ムスリム(イスラム教徒)は日が出てから日が沈むまでの間食べないのだ(例外はあるけど)



思い出してみると、自分も朝ごはんを食べずに出勤して、お昼も食べずに仕事をして、気が付いたら日が沈んでいたということは1,2回あるが、その時は「もう疲れた。腹が減って死にそうだ。もう嫌だ(何が嫌っていうわけでもないが)」という感じになったのを覚えている


これを約1か月も続けるわけだから、ムスリムはすごいなと思う


ムスリムがやってるレストランはお昼に閉まっていたりするので、我々のような非イスラム教徒からすると「昼ごはんどうしようかな」と困ることも多い


また、職場ではいつもチャイ(お茶)の時間にパンやキャッサバを買って食べるのだが、イスラムの先生たちが何も食べずにいる横でモグモグ食べるのも気が引けて、自分は外で食べてからスタッフルームに戻るようにしている。
ただ実際、ほかのキリスト教の先生たちは気にせずにスタッフルームで食べているし、イスラムの先生たちも気にせずに仕事したり話をしたりしている。そのあたりはさすがだなと思う。宗教って「損得」じゃないんだなと思う。


そしてこんな苦行を世界中で何億人という人が行うわけだから、宗教の力ってすごいなと思う





何年か前まで、宗教っていろいろとやらなきゃいけないことがあって、時間を損しているように思うことがあった。


毎日何回もお祈りをしなきゃいけなかったり、服装に決まりがあったり、禁止事項が多かったり、収入の一部を寄付しなきゃいけなかったり・・・・・・

ラマダンもその一つだし、チベットで五体投地をしながら巡礼をするというのも「えー!」と思った


でも、やっぱりそういうことには意味があって、やっている人たちの中でしっかりと消化されて、やらない人には分からないものを得ているというのが実際。きっと、「オレは宗教が違うからソレやらなくてもいいんだ。いいでしょ?」と言われたとしても、「へぇ、あなたはそうなんだ。私はやるの。」という感覚じゃないかなと思う。


損得で動いた結果かき集められた時間やお金も、たいがいしょうもない使い方をしてしまうものだし、「また無駄に使ってしまったな」と後悔なんてし始めたら完全に本末転倒なのだけど、でも多くの人はそうじゃないかなぁと思う


結局、当たり前のことだけど、がんばった分だけいい結果が生まれるということなんだろうと思う

自分は宗教はやらないので戒律のようなものはないけれど、こちらでいろんな宗教の人と生活をしていると、怠けてられないなと感じる

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