2013年8月22日木曜日

語り継ぐもの

新約聖書の中に
「われを地上に送りたまいし者、常にわれとともにあり―父なる神はわれを見捨てたまわず」
ということばがある

信仰のある人にとってこのことばがもたらす救いというのは計り知れないものがあるらしく、事実このことばによって悩みや苦しみから救われたという人も多い(みんなが知っている偉人も)



自分とは前提(根本)がぜんぜん違うなぁと思う


善悪の判断から生き方に至るまで、神の存在が前提になっている人はある意味強いと思う
信じる力はとても強くて、これがあるのとないのとで大きく違ってしまうからだ
(例えば同じくらいの能力の人が2人いたとする。片方の人だけが信仰があり、「神が味方してくれるから自分は絶対に大丈夫だ」と信じている。信じる気持ちのある方がよい結果を招くだろう)



・・・自分が何か道に迷ったとき、道しるべになるものはなんだろう?






「宗教がなくて、どのように道徳教育を行うのか?」

この問いの答えとして新渡戸稲造は『武士道』があるとし、その中で



「義」
人間としての正しい道、正義を指すものであり、武士道のもっとも厳格な徳目

「勇
義を貫くための勇気

「仁」
人としての思いやり、他者への憐れみの心

「礼」
他者に対する優しさを型として表したもの

「誠」
言ったことを成すこと

「名誉」
名を尊び、自分に恥じない高潔な生き方を貫くこと

「忠義」
主君に対する絶対的な従順のこと



を挙げた

・・・うん、確かに、すべて納得ができる。(自分が日本人だからかな)



武士道、いいと思うけどなぁ


キリスト教なら聖書、イスラム教ならコーラン、仏教なら経典があるけれど、
・・・・日本は何をもってこの心を後世に語り継いでいくんだろう

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