4日間にわたって苦しんできた謎の腹痛・・・
ほぼ完治!!
水を飲もうが食べ物を食べようが、トイレに行きたくならない!
体から毒が出て行ってくれたのだろうと思う。食べてはトイレ、食べてはトイレ・・の日々にようやく終止符。
結局、薬は飲まずに自然に任せたのだけれど、治ってよかった。
2日間学校を休んでいたので、明日からバリバリがんばるつもりである(*^^)
☆☆☆ここからは、頭の中でウダウダと悩んだことについて☆☆☆
ところで、休んでいた間、時間だけはたくさんあったので(眠れなかったりもしたし)、
いろいろと考えていた。
なぜかというと、最近の自分のあり方についていろいろと納得のいかない点がいくつかあったからである。
その一つは、「最近、タンザニア人に対してなぜか冷たい態度をとってしまう」というもの。
電話も出たくないし、家の外から話しかけられても答えたくない。などなど
なぜだろう、と考えていた。冷たい態度をとるメリット(利点)なんか一つもないのに・・・
・・・簡単に言えば、「生活が大変だから」ということなんだと思う。
日本にいた時より、執着する対象がものすごく多くなっているのである。
「水」→水道が止まると使えなくなるから、水が欲しい。あげたくない。もっと使いたい。
「電気」→ソーラーパワーだけだから、無駄遣いできない。もっともっと欲しい。
「日本から持ってきた食材」→こっちでは絶対に買えない。あげたくない。大事にしたい。
「日本から持ってきた文房具」→こっちでは買えない高性能。あげたくない。貸したくない。
「お金」→今、日本の口座から引き落としができないので限りがある。なくなったら嫌だ。
「病気」→病気になりたくない。家にいる蚊(マラリアを媒介する)を撲滅したい。
「明るさ」→夜、暗くなる前に仕事や家事を全部済ませたい。その時間を奪われたくない。
などなど、日本にいたときには執着する必要がなかったのに、
現在、もっと欲しい、あげたくない、なくなったら嫌だ、と執着している自分に気づいた。
う~ん、こんな風にたくさんの欲を心にまとっていると、
どんどん自分を守る方の意識が強くなってしまい、
人に優しくできなかったり、遠ざけたりしてしまうんだよなぁ。
できるだけこの欲をなくしていきたい。
「水」→水道はずっと止まってるわけじゃないし、なくなってもどこかに水はあるはず。大丈夫。
「電気」→ソーラーがあるだけマシだ。なくなったら続きは次の日にやればいい。大丈夫。
「日本の食材・文房具」→どうせなくなる物。ちょっとあげたり貸したりすると喜んでもらえる。
「お金」→毎日それほど使わなくても生活できるから、そうそうなくならない。大丈夫。
「病気」→かかっても、治る。大丈夫。蚊は見つければやっつければいい、見えなければ知らん。
「明るさ」→暗くて仕事や家事が終わらなかったとしても、それでもともと。次の日にやればよい。
自分のことが認識できて、少し気が楽になったような気がする。
守るものが減れば、身軽にどこでも行けるし、誰とでも気楽に話せるはず。
体も心も回復して、明日から心機一転、がんばろうと思う!
ポジテイブに考える・・・
返信削除ネガテイブに考える・・・
結果は変わらず むしろポジ思考の方が良い方に進展
する気がする
頑張れ2年間 どっちにしてもタンザニアでがんばるのだから(P子)