「改善」という視点
日本人は効率をすごく大切にする、勤勉な国民性だと思う
日本人同士の話の中でも「この行動は無意味だ」「この作業は時間の無駄だ」「やる気が足りていない」などという内容が結構出てくる
確かに発展途上国にボランティアとして来ている我々日本人から見ると、こちらの仕事ぶりやシステムについて、不効率だったり怠惰だったりするところがたくさん目につく
「ここがダメだから、改善していこう!」
という流れである
何もおかしい事はない
改善点を見つけ、改善をしていけば、よりよい仕事やシステムになるのだから
・・・・でも、
改善点ばかりを探していると、あら探しをしているようなもので、その対象への「愛情」だとか「信じる気持ち」などが減っていってしまうように感じるのだ
「うちの職場は○○だから」「タンザニア人は○○だから」「タンザニアの教育は○○だから」っていう話題になったときに、欠点やマイナス点しか思いつかなかったとしたら、好きでい続ける事や信じ続ける事って難しいと思う
結局、こちらが心の底でそんなふうに思っているってことを周りの人は見ぬいているし、そうなるとお互いの関係も少しずつ悪くなっていってしまうかもしれない
こういう失敗は、自分もやらかしていて
生徒に対して、どこが改善できるか(つまり欠点は何か)を探して、
「ここをこうすればいいと思う」とか「改善点はなんだと思う?」という話ばかりになる
穴埋め作業・・・・その人のいいところはいっぱいあるはずなのに、欠点についてばかり話をしてしまっては、相手だってこっちだって面白くない
「改善」は「KAIZEN」と外国でも言われるように、日本の素晴らしい文化のひとつだが、上に書いたような落とし穴があるんじゃないかな、と思うようになったのだ
今自分が住んでいる場所や環境、職場や学校、または関わっている人に対して
改善点を1つ見つけるなら、その2倍か3倍、いいところを絶対に見つけるようにする
なかなか難しいけれど、努力して積み重ねていければ、きっといいことが起こる・・・はず
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