2013年10月17日木曜日

教師の今後について思う事

今日も学校が休みだったので、家事をしたり語学の勉強をしたりだらだらしたりしていた


インターネットのニュースを見ていたら

「居眠り注意した教諭に逆ギレ、傷害容疑で中3逮捕」

という記事が出ており、それに対するコメントのほぼ全てが

「被害届を出した対応に賛成する」というものだった

この対応にどう思うだろうか

         ☆          ☆          ☆


さて、これは完全に個人的な意見なのだが、
今後、教師の仕事ってどんどんライン引きがされていくかもしれないと思う

つまり、ここまでが教師の仕事ですよと制限が設けられる(マニュアル化される)と思うのだ



これまでは、教師の仕事にはグレーゾーン(特に定められていない仕事)が多くて、
その教師教師で児童生徒への関わり方が大きく違っていたと思う。例えば


クラス一丸となってがんばっている時に差し入れをくれる教師や、間違ったことをした時にめちゃくちゃ怒ってくる教師、朝ごはんを食べさせてもらえない子に何か食べるものをくれる教師、休日返上で部活指導してくれる教師・・・


グレーゾーンの中でのふるまいに、その教師の人間性が最もよく表れて、お互いの信頼関係を築いて成長していくという構図があるのだと思う





ただ今の社会だと、このグレーゾーンがやっかいな方向に働くことも多く、例えば

「あの先生は差し入れをくれたのにあなたはくれないのか」
「長い間怒られて、これって体罰じゃないのか」
「なぜウチの学校では朝ごはんをくれないのか、同じように税金を払ってるのに不公平じゃないか」
「あの部活は休日でも練習があるのに、なぜウチの部活は休みが多いのか、やる気がないのか」

悪い事をしたのならともかく、よかれと思ってどこかの教師が頑張ってやったことを逆手に取り、それをしない教師は怠け者だという事を言われたりするのである


(まっとうな苦情は別として)おかしな苦情は聞き流せばいいじゃないかと思うが、なかなかそうはいかないみたいで、また公務員である教師は非難をするのも簡単


教師は「なんでもやってくれる人」が望まれているのだろう



でも、なんでもやれるわけはないし、限界を超えていろんなことをやろうとすると、かえって中途半端になって問題を引き起こしたりすることにつながる。そして行き過ぎたことをしてしまうと、それがまた非難の対象になってしまうのだ



こうなってくると、教師の中には「非難されない程度に仕事をして、そして余計なことはしない方がよい」というスタンスで仕事をする人が増えると思う

漫画『GTO』みたいに体当たりな指導をするのはハイリスクでしかない、というわけだ(例えが極端すぎるが笑)

何か生徒の問題を見つけてしまったときの対処法として「見なかったこと、気付かなかったことにする」というものがあったらすごく悲しい




結局、何か問題が起こるごとに上も責任をとらなければならないので、だったらライン引きをしようという流れになるかも、と思うのだ


例「差し入れは○○の時に△△を一人一個ずつ配ること。予算は最初から組んであります」
例「朝ごはんは食べさせない事」
例「叱る時は、一回の指導で一人当たり○○分を超えないようにすること」
例「休日の部活指導は、教師とは別で部活担当として雇われた人の責任の元で行う」

といったような具合だ。あくまで例だけど



グレーゾーンがなくなり、それぞれの教師ができることが限られてきて(いい意味でも悪い意味でも)、平等な、問題の起こらない教育になっていく


いろんな要求に対しても、「それは我々の仕事ではありません」とはっきり言えるようになり
余計なことに手を出して問題を引き起こしてしまう事もなくなり
行き過ぎた指導が問題になることもなくなり・・・



          ☆          ☆          ☆


例「傷害事件が起こったら警察に被害届を出す」というのも今後ありえない話ではない

法的になんの問題もないだろうし、全国で均一な指導ができ、効果もあるだろう



でも、きっと誰もが感じることだと思うが、そうなったら・・・

さみしいことだな



教師、保護者、そして社会の大人たちが、お互いを非難したり足を引っ張り合うんじゃなくて、子供のためになることを協力して考えてやっていければ、もっともっといい国になると思う (これができている地域はたくさんあると思う)


教師がマニュアル化されてしまったら、もめごとは減ってすっきりするだろうが、子供のことを考えるとどうなのだろう・・・・


いろいろ考えてしまった




児童生徒の成長に関わる、とてもやりがいがあって楽しい仕事だから、

いろんな教師が自由度を持っていろんな方法で児童生徒と接することができる、というのがよいと思う

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