今日は肉屋さんで牛肉を買い、野菜と一緒に炒めて食べた。
キッチンで料理をしていたとき、すぐに子供たちに見つかり、家を覗きこみながら
「タニーが料理してる!」「タニー、何作ってるの!?」
と話しかけてきた。そのとき正直
「ああ、うっとしい。」
と思ってしまったのである。
昨日、家の玄関先で洗濯をしていた所を散々邪魔したあげく、オレがいなくなった後で、
こぼれた水を使って泥遊びをし、玄関をドロドロにした子供たちである。
料理を終え、リビングで食べようとすると、
「タニーが食べてるよー!」「こっちこっち!」
という声が聞こえ、
うっとおしくなって食べ物を持って、死角である廊下へ逃げた。
けど、なんで自分の家の中でコソコソみじめにご飯を食べなきゃいけないんだ!
と思いリビングに戻り食べ始めると、一人の子供が覗き込んできて
「お腹すいたから500シリングちょうだい」
はぁ、またこれか・・・・と思い。
、
「ごめんね。今(ほんとうに)500シリングないんだ」
と言うと、
「ごはんを一口ちょうだい」
見てみると、本当にお金がなさそうな子供である。
こはんを一口ならあげても構わないや、と思い。
「いいよ。入り口のドアの所に来て。」
と言うと、ドアの前で待ちながらその子が
「タニーが来てくれるよ!」
と他の子供を呼んでいる!
えぇー!なんでそうなるんだよ!と思い、
「あなただけ!」
と言い一口分あげ、こっちに向かって走ってきている子供達を無視してドアを閉めた。
当然子供たち数人が家を囲み、
「タニー!」「僕にも食べ物ちょうだい!」
と言ってくる。
ほんの数人しかいないにも関わらず、なんだか際限なくこれが続くような気がして、
「ケレレ!(うるさい)」
と冷たい声で言い放つと、子供たちは静かに去って行ったのである。
その後のご飯がおいしいわけもなく、
純粋にご飯が食べたかっただけの小さな子供達になんであんな冷たい事を言ってしまったんだろう。と思って・・・
自分の心の狭さをすごく実感した日だった。
こちらに来てから、「人に物をあげるべきかどうか」で悩むことは多かった。けれども
「持っている『もの』なんて欲しいっていう人にあげてしまった方が、あげずに抱えこむより楽だ」
っていうのが、今の正直な気持ち。
どうせあげたとしても知れてるし、執着して隠すと気持ちがみじめになるし、なにより健康な体さえあれば仕事はできる。
周りを子供たちに囲まれる家に住むことになったのは、運命というか、試練というか、
きっと「お前はその家でいろいろ悩んで、成長しろ!」っていうことなのだと思う。
・・・こんなマズイご飯はもう食べたくない。強くなる!!!
日本は贅沢な国だと思う
返信削除水は水道から出るし電気は自由に使用できる
食物は何でも美味しい 福井では一世帯に1、7台の
車がある でも何かが欠けている 案外タンザニアに
その何かがあるかも知れない 物質の豊富さで幸福度
を計ってはいけないかもしれない。
よく考えてみよう。(フクイのP)