今日は、タンザニアの中等学校数学(日本でいう中2~高2)の教科書を見た。
最新の教科書ではないけれども、カラー印刷ではないし、図やグラフは切り貼りしたように曲がっていたりして、見栄えはそれほどよくない。
でも、そんなことよりびっくりしたのは、例えば「グラフの勉強をしましょう」ってなったら、1次関数のグラフをやって、放物線をかいて、頂点が原点ではない2次関数のグラフをやって、2次曲線をかいて、ルートのグラフもかいて、ガウスもやって、指数関数のグラフをやって、対数関数のグラフをやって。といった流れで、
確かにグラフの勉強なんだけど、それってその順番でやって意味わかるの??
と思ってしまった。(ざっと見ただけなので間違ってたらごめんなさい)これって難易度もゼンゼン違うし、関数とグラフの関係とか、関数の性質とかちゃんとリンクしてわかるのかな?
多分、「これはこういう形になるんだ。プロットしてみろ、確かにそうなるだろ。暗記しなさい。」って感じなんだと思う。
こんな感じだから、中3で log の計算が登場する!(日本なら高2くらいで登場)その後に「二等辺三角形の底角が等しい」とかを習う。
日本の教科書って、カラフルで写真も載っていたり、飽きさせずわかりやすいように工夫がいっぱいしてあったんだなって思った。しかも、学習の順序もちゃんと系統立てて作られてる。
そこは自信を持って教師が教えたり、生徒が勉強していいんだなって改めて思った!
きっと向こうでの2年間は、勉強になったり、改めて今までの良さ悪さに気付いたりの繰り返しになるはず。ワクワクしてきた~!!
ブログ開設おめでとうございます!
返信削除初コメントさせていただきます☆
外国の教育っておおざっぱなんですね~。なのに英語とかみんなしゃべれるようになるのはなんでなんやろ?
系統的なのだけがいいとは限らないのかな?
幕末の日本人、たとえば龍馬なんかが片言の英語を操って外国人とわたりあえていたのも、ざっくりと理解していたことと、語学力を超えるコミュニケーションの力業みたいなものの存在を感じます。数学と語学はまた違うのかもしれませんが。荒削りで混沌としたもののなかから、つかみ取る方が力になるのだろうか…と考えたりさせられました。思いつきです。C・M
>C・Mさん
削除初コメントありがとうございます。確かに、分かり易すぎることが、思考することや想像することを妨げているのかもしれません。「分かりやすくする→考えなくなる」「日常生活や仕事での実用性を説きすぎる→日常や仕事で使わない人にとっては学習する価値がないと考える」というようなサイクルもあるのかもしれません。・・・今思い返すと、『贅沢すぎる悩み』です(笑)