2013年3月16日土曜日

もやもやぐちゃぐちゃ

今、タンザニアで数学を教えているワケだが、

「教える」って難しいことだな、とつくづく思う。


そもそも突き詰めると「人にものを教える」なんてことはできなくて、せいぜい「人が学習する手助けをする」というのが限界なのだろうと思う。

パソコンだったら情報を書き込んでしまえるけれども、他人の頭の中に情報を書き込むことってできないだろうし、逆に自分だったらそんなことはされたくないと思う。何でも自分なりの理解をしたいし、自分で情報を取捨選択して、知識を自分で使いこなしたい。


結局、勉強にしても何にしても、「本人が」学習したり技術を身に着けたりするのが根本であり、周りで他人がワーワー教えても、本人がぼ~っと違うことを考えていたらどうしようもないのだ。


ということで、人に物を教える仕事をしている人に必要な能力というのは、「やる気にさせる能力」もとい、「やる気を出すきっかけを与えられる能力」なのだろうと思う。

極端な話、やる気にさえなってもらえれば、あとは本人が勝手に努力して成長していくので、教える必要もない。


でも、これってすご~く難しいことだと思う。

英語の本では「マネジメント」や「コーチング」、「モチベーティング」の本がたくさんあって、勉強してその技術を磨いていくことは可能だと思うけれども、

結局はその人の「人となり」が物を言うんだろうなと思う(特に教育界では)。


じゃあ、どんな「人となり」だったらいいのか。・・・・・う~ん、聖人君子みたいな人でもそれだけじゃダメだろうし、ヤンキーみたいな人でも違うし、ある程度いい事から悪い事までいろいろな経験があって、頭はいいけど頭でっかちじゃなくて、厳しいけど優しくて、いろんな分野の知識があって、話がうまくて・・・・・


      ☆      ☆      ☆


教師とはいったい何が正解で何が不正解なのか・・分からず、自分の中で混沌としている。

多分正解はなくて、理想の教師像は時代によって変わるだろうし、児童生徒によって違うだろうし、国、学校、生徒、教員、保護者などそれぞれの立場によって違うだろうし、何よりその教師自身のもともと持っている性格や能力によっても違うだろう。

ただ自分の性格上、暫定的でもいいから「自分なりの正解(目標)」を見つけて、早くそこに向けて発進していきたいなと思う。

そうでないと、あぁでもないこぅでもないと模索するまま何十年がたって、将来特徴のない人になってしまうような気がして嫌なのだ。

エゴだけれども、何か「この仕事はあなたが適任だ」と言ってもらえるような特徴がほしくて。なかなか自分の代わりがきかないような仕事を、やりがいと責任を持ってやりたいという願望がある。


うーん、なんだろうなぁ。どうなりたいんだろうなぁ。・・・・「授業がうまくいった時」は嬉しいけれど、実は「他の先生の役に立てた時」の方が嬉しかったりして、もやもやぐちゃぐちゃ。


迷走中(笑)まぁ、今はとりあえず「教師のあいうえお」だな。

1 件のコメント:

  1. 論語…孔子の教えで、生涯で一番大切なことは、なんですか?と言う、弟子の質問の答に、それは、恕(じょ)である
      とあります。
    恕とは、自分がされたらいやなことはしない。自分がされたら嬉しいことを、相手にしてあげる。相手への 思いやり・相手の立場に立つ・人様の為になることを考える。
    言い換えると、いろいろあって、簡単そうで分かりにくい?

    でも、いつでも、自分ならどうしてほしいかな?って考えてみると、ヒントが見えてくるかもしれませんね。
    正解なんてないし、間違ったり失敗したり、遠回りしたことが、!!!よかった って感じること、いっぱいあるものね。
    知り合いの、保育園の園長先生から最近聞いた言葉、
     「私は、いつでも、園の先生も子どもたちもみんなが、今日一日、本当に楽しく過ごしてるかなあ それだけを願っているんですよ。」
    健康にだけは気をつけて、子どもたちと、楽しく過ごしてください。      t-mama

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