外部の人が来ると、改めて気づかされることが多い。
「○○ですね」と言われて、「そういえばそうやね~!気付かなかった!」とか
「△△はどうしてですか?」と聞かれて、「なんでだろうね~、考えたこともなかった」とか・・・
こちらへ来て半年が過ぎたが、この生活が当たり前になったことでいろいろな「死角」が生じていたことに気付いた。
ということで、この時期の自分にとってこの東大生のプログラムはとてもありがたくて、もう一度初心に帰ってタンザニアを見つめ直すイイきっかけになっていると思う。
・・・さて、
去年担任をしていた生徒から「大学に合格しました」という連絡が来た。
あぁ、卒業式から一年が経つのか、と思った。
自分にとってこの1年は、これまでの人生の中でも一番長くて、刺激的で、充実していて、そして成長できたものだったと思う。
同じように、去年卒業した生徒たちもきっと、それぞれ人生の中でも特別な1年を送ったのではないかなと思う。高校を卒業して、半分社会人になる年・・・みんなはどんな1年を送ったのだろう。
・・そんな事を考えていると、少し幸せな気分になってきた。
「あの人は元気かな、とかあの人は今何してるのかな、とか、そう思える人が増えたこと」
これは、教員をやっていてよかった事の一つだなと思った。
前にも書いたと思うが、自分は教員には向いていなくて、働いていた4年間は苦悩の連続だったけれども(一度心療内科に行ったこともある)、でも生徒と本気でやりあったからこそ、「今どうしてるかな」って思えるのだろう。
本音と本音でぶつかり合える現場。ビジネスとは違った醍醐味が教員という仕事にはあるのだと思う。
活動の期間も残すところあと1年。「ここはタンザニアだから仕方ない」と納得せずに、本音と本音をぶつけて戦ってみたいと思う。
そうでなければきっと、将来「あのタンザニアの誰々は元気かな」って思えなくて、ただ単に「タンザニアの人達」というふわっとした記憶しか残らないのだろうと思う。
それではもったいないし、嫌だから、『今』『ここで』『私が』がんばる!
まだまだ、生徒たちに負けていられない(*^^)
谷君、四年間の結果もしくは意味がみえつつあるんかもね
返信削除がんばってたもんね
この仕事は結果が即座に、目に見えてはでて来ません
あとになってしかわからない
私は谷君より教師にむいてないなぁと思うので、現在はかなり苦しい
ですが、なんとかがんばろうと思いました
心身気をつけて