たまたまカレーを食べようという話になり、
JICAオフィスの掃除のために任地ムトワラに来ていた人達の内の数人が我が家へ来た
自分の家(部屋)にこれだけ人が来ることって大学で寮生活をしていた時以来あまりなかったから
すごく楽しかった。
また来週からがんばろうー!と思ったのでした
☆ ☆ ☆
たまには変な話も・・・
少し話題にあがったのだが
「霊の存在を信じますか?」と聞かれたらどう答えるだろうか
自分の答えは「信じません」
おそらく霊を見てしまう人っていうのは「思い込み(意識もしくは無意識)」からくる「自己暗示」にかかって、実際にそこに存在していないものでも見えてしまうのだろうと思う。
(無意識の思い込みというのは、記憶にないくらい小さいときに得た情報とか、遺伝子レベルでもともと自分が持っている情報などが元になっているという意味)
だから霊を信じないとは言っても、「霊を見たんだ!」という人を「うそつき!」というつもりは全然なくて、その人には実際に見えていて、匂ったり触ったりできたというのは事実としてあるんだろうなと思う。その人にとっては存在しているといっていいのだ
こういう事を言っていると「霊を見ている人をばかにしてるのか」とか「罰当たりなことをしそうな人だな」とか「心霊スポットでも平気なのかな」思われるかもしれないが(笑)
◇霊を見ている人をばかにしているわけではありません
そもそも見えてしまうものは仕方ないでしょう。
場合によっては本能的な危機察知能力が高いがために霊を見るのかもしれない。
例えば森でお化けを見て逃げ出した人は、その先にいる野犬の群れを避けたことになったかもしれない。
廃墟で幽霊を見て逃げ出した人は、崩れてくる壁や毒を持った細菌を避けたことになったかもしれない。
◇罰当たりなことはわざわざしないです
罰当たりなことをしたら罰が当たるよっていう文化の中で自分は育ってきたから、「罰当たりなことをしたから罰があたるかも」と、無意識の部分で思ってる(洗脳されてる)。そうすると嫌なことを自ら(無意識に)引き起こす可能性があるから、わざわざやらない
逆に、先祖を大切にというような事は、そうやって自分が今元気に過ごせていることを感謝することが、自分の心にとってもいいことだと思う(思い込んでいる)から、やる
◇心霊スポットでは怖いです
これも、テレビとかお化け屋敷とかでさんざん洗脳されているので、「怖いなぁ」と思うようになっているからである。無意識にでも怖いと思ったら、精神衛生上よくないことが起こるだろうし嫌である
そもそも自分がちゃんと見ているつもりになっている物でも、本当にそれが正しいのか疑問である。大きな山とか時計台を写真に撮って見てみると、意外に小さく映っていたりしたことはないだろうか?目から入った情報を脳が処理をする時に大きくしてしまっているのだ。結局は自分の脳が情報処理をした世界に自分は住んでいるようなものなのだ
有名な話だけど、
赤い布があったとして、「これは何(なに)色ですか?」という質問をしたら
AさんもBさんも「赤です」と答えるでしょう。
でも、本当にAさんに見えている色とBさんに見えている色は同じ色なのだろうか?
色が反転して見えているかもしれない
でもAさんもBさんも小さなころから「これが赤だよ」って教わっているから、「赤です」と答えて、お互い同じ感覚を持っているなと思い合うんだけれど実際は違うというわけ
ある意味、人それぞれ違う世界に住んでいる
霊はいてもいいし、いなくてもいい、
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