2013年6月7日金曜日

自分も楽しむ

今日たまたま見つけた義家弘介さんの言葉に、あぁ~本当にその通りだなぁと思った。


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『(略)上達していった。しかしアンケート結果はまだまだという厳しいものだった。

 努力しても生徒に満足させられず、意欲的に取り組んでいた授業も、面倒で苦痛になってきた。

寝たりダルそうな生徒の姿を見て「俺のやる気もますますなくなるじゃねーか」と心の中でつぶやいたとき、突如、生徒たちを満足させられなかった理由が目の前に現れてきたような気がした。

思えば私は、いつも生徒たちの評価のみを気にして、生徒の反応を分析しながら、次の手を考え実践してきたのだった。

一番大切な「授業することを楽しむ」ということを置き去りにしてきたのだった。

授業する教師が心から授業を楽しめないで、どうして受る側の生徒が楽しみ、満足することができるだろう。』→引用終わり

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自分のこれまでの授業を振り返ると、「どうやったら生徒にとって分かりやすいか」というような「生徒がどう感じるか・・・」という視点だけで授業を作っていたように思う。

オレ自身にとっては楽しくない授業がほとんどだったと言っても過言ではない。「生徒ならまだしも、オレ(教師)が楽しむ必要はない」と当然のように思っていた気がする。

生徒を中心におく考え方は間違ってはいないだろうけど、
確かにこの文章にあるとおり、授業をする人が楽しんでいないのに受ける側に「楽しんでくれ」だの「集中してくれ」だのと要求されても、受ける側もやる気出ないよ~となるはず。

少なくとも自分だったらそう感じる。
その人に技術があっても、嫌々とかしんどい思いを持って教えられるのはやる気が出ないもの。(自分で教えてもらいに行ったのなら別として)


「こっちも楽しむ」という観点・・・教員6年目にして初めて意識する視点である。どうすりゃいいんだ。やったことがないから分からない(笑)

「授業するの好きでしょ?」と人から言われるほどになると、授業の雰囲気も変わるんだろうなと思った。まだまだこれから。

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